早くも11月に入った。
10月28日に訪ねた練馬区の牧野記念庭園。牧野富太郎博士が亡くなるまでの30余年を過ごされた住居と庭の跡地。
生活を支えてくれた妻・壽衞(すえ)への感謝を込めて名づけられた、スエコザサがあちこちに生えていた。11枚目や銅像のまわりがスエコザサ。
博士が愛妻に捧げた「家守りし妻の恵やわが学び 世の中のあらん限りやスエコ笹」の歌碑も。
植物図鑑の積み上げられた書家には「博士はいま、庭へキンモクセイを見に行きました」などとあり、まだ博士がお元気で、ちょっと出ていますという感じで、粋だなあと思ってしまった。
花は少ない時期で、野紺菊と丸葉藤袴の白い花くらいだった。
柚子(ユズ)の実が生り、黐の木(モチノキ)の赤い実も生っていた。
最後の文字は「花在ればこそ吾れも在り 牧野富太郎」。




















10月28日に訪ねた練馬区の牧野記念庭園。牧野富太郎博士が亡くなるまでの30余年を過ごされた住居と庭の跡地。
生活を支えてくれた妻・壽衞(すえ)への感謝を込めて名づけられた、スエコザサがあちこちに生えていた。11枚目や銅像のまわりがスエコザサ。
博士が愛妻に捧げた「家守りし妻の恵やわが学び 世の中のあらん限りやスエコ笹」の歌碑も。
植物図鑑の積み上げられた書家には「博士はいま、庭へキンモクセイを見に行きました」などとあり、まだ博士がお元気で、ちょっと出ていますという感じで、粋だなあと思ってしまった。
花は少ない時期で、野紺菊と丸葉藤袴の白い花くらいだった。
柚子(ユズ)の実が生り、黐の木(モチノキ)の赤い実も生っていた。
最後の文字は「花在ればこそ吾れも在り 牧野富太郎」。




















