唐招提寺から薬師寺は近く、歩いて10〜15分。
2枚目、與樂門(よらくもん)。
3枚目、まだまだ炎のような紅葉を見ることができた。4枚目、南門。
5枚目、建物の向こうの、国宝の創建当時から唯一残っている東塔。
6枚目、暗いけれど、右が金堂。左に東塔。
7〜8枚目、金堂。9枚目、金堂の背面から。10枚目、大講堂。
11枚目、東塔。12枚目から西塔。
中学か高校生の修学旅行で訪れた時とはまったく違う薬師寺になっていた。訪れた時にはなかったものが再建されている。当時は西塔も食堂も大講堂もなかったと思う。
当時、有名だった高田後胤管長は、修学旅行生達へのユーモアたっぷりの法話で知られており、私たちも話を聞くことができた。内容は忘れたけれど、後胤さんの姿ははっきりと残っていて、当時の後胤さんの写真も手元にある。それからもたびたびテレビなどで拝見することができた。
1924年生まれの後胤さんは、1998年に74歳で亡くなられた。今思うと、まだまだ若かったのにと思う。惜しい人だった。
2枚目、與樂門(よらくもん)。
3枚目、まだまだ炎のような紅葉を見ることができた。4枚目、南門。
5枚目、建物の向こうの、国宝の創建当時から唯一残っている東塔。
6枚目、暗いけれど、右が金堂。左に東塔。
7〜8枚目、金堂。9枚目、金堂の背面から。10枚目、大講堂。
11枚目、東塔。12枚目から西塔。
中学か高校生の修学旅行で訪れた時とはまったく違う薬師寺になっていた。訪れた時にはなかったものが再建されている。当時は西塔も食堂も大講堂もなかったと思う。
当時、有名だった高田後胤管長は、修学旅行生達へのユーモアたっぷりの法話で知られており、私たちも話を聞くことができた。内容は忘れたけれど、後胤さんの姿ははっきりと残っていて、当時の後胤さんの写真も手元にある。それからもたびたびテレビなどで拝見することができた。
1924年生まれの後胤さんは、1998年に74歳で亡くなられた。今思うと、まだまだ若かったのにと思う。惜しい人だった。