3.11から10年目。今日は静かに過ごしたい。あの日のマグニチュード9.0の巨大地震。ここ横浜も震度5で相当な揺れだった。高層ビルなので長周期振動の横揺れが酷く、立っていることはできなかった。何とか玄関まで辿り着いてドアを開けると、隣の親子は帰宅したばかりのようで、まだ中に入れず、玄関前でしゃがみ込んでいた。「マンションが倒れるかと思った」と。本当にそれほど揺れた。都内の50階、60階のビルにいた人達はどれほど恐ろしかっただろう。不意に揺れている感覚になる地震酔いは半年は続いた気がする。
私のケイタイは倒れた本箱やらデスから落ちた物に埋もれて取り出せず、何度もやってくる余震に、ケイタイの音はしても危険で、所在がはっきりわからず取り出すこともできなかった。
思考力ゼロで迎えた朝。ずっと繰り返し流れるテレビの津波の映像を見て一夜が明けていた。あの揺れでも停電しなかったのは幸いだった。
道路の寸断。郵便、宅配の不通。被災地の知り合いに食料を送れるようになったのは3月末だった。被災した知り合いのひとりから、後に仙台の河北新報社から出版された「震災から10日間の報道写真集」が送られてきた。あらゆるものが津波によって破壊された世界。今見ても悲惨すぎて目頭が熱くなる。こういう光景を2度と見ないですむようにと祈りたい。
死者1万5899人、行方不明者2529人。
この地震大国で原発が動いているのは狂気だ。この地震ですぐさま脱原発を決定した聡明なドイツのメルケル政権。なぜ被災した当事国の日本でそれができないのか。嘆かわしいというより恐ろしい政治が続いている。

1枚目、龍隠庵(りょういんあん)へ向かう石段の途中のお地蔵様。2枚目、上りきった所の藪椿。
3枚目、そこからの景色は、手前に紅白梅。その向こうに茅葺きの選仏場(座禅場)。奥の青い屋根が仏殿。4枚目、選仏場と満開の白梅。
5枚目、蕗の薹(フキノトウ)。6枚目、龍隠庵入口と居士林の間の庭でクロッカス。
いつまでも平和な景色が続きますように。
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