島原のパンフレットを見て、ぜひ江東寺の涅槃像も見たいと思った。
江東寺の門の前で、またも猫ちゃんが現れ、まとわりつくので、ひととき楽しく遊んで、中に入った。
雲仙地獄でも猫ちゃんが出てきてくれたし、不思議だった。1〜3枚まで門前。





涅槃像は、板倉重昌と松倉重政の霊を供養するために建立されたものとか。
8.1メートルの鉄筋コンクリート造りの涅槃像としては日本最大らしい。足の裏に大法輪の相(仏足石)が刻まれている。これが刻まれたのも最初だそう。
頭部は、信者による写経1万巻が納められているというのだから凄い。台座は歴代住職の納骨堂とのこと。
涅槃像の左手には島原の藩主となり、島原城を築いた松倉重政と、島原の乱鎮圧に派遣されたものの戦死した板倉重昌の墓碑も。
重政は島原城築城のためなど重税で人々を苦しめ、相当、キリシタンを弾圧している。彼の急死の後、後を継いだ息子の勝家は、父以上に冷酷な人物で、島原の乱は、この父と子が原因となって、キリシタンだけでなく、重税に苦しめられた農民達も一緒になって決起している。当時の圧政の酷さに衝撃を受けるのみ。
無慈悲な人でも、死ねばみんな仏だろうか。ここには書けないほど酷い仕打ちをした人でもあり、私には納得いかないけれど。
勝家は島原の乱の後、咎められ、江戸で切腹ではなく、斬首となっている。弟の重利は会津に預けられて自害している。江戸幕府260年ほどの間で、切腹ではなく打ち首にされた殿様は、勝家ただひとりだ。勝家が身のまわりのことをさせていた小姓の権兵衛は、松倉家に代々使えていたというだけで、江戸まで同行したあげく、勝家の処刑翌日に斬首され、もうひとりの小姓は流罪になっている。権兵衛達が気の毒でならない。
以下の写真、門を入ってすぐ右手の鐘楼。涅槃像。松倉重政と板倉重昌の墓碑。






江東寺の門の前で、またも猫ちゃんが現れ、まとわりつくので、ひととき楽しく遊んで、中に入った。
雲仙地獄でも猫ちゃんが出てきてくれたし、不思議だった。1〜3枚まで門前。





涅槃像は、板倉重昌と松倉重政の霊を供養するために建立されたものとか。
8.1メートルの鉄筋コンクリート造りの涅槃像としては日本最大らしい。足の裏に大法輪の相(仏足石)が刻まれている。これが刻まれたのも最初だそう。
頭部は、信者による写経1万巻が納められているというのだから凄い。台座は歴代住職の納骨堂とのこと。
涅槃像の左手には島原の藩主となり、島原城を築いた松倉重政と、島原の乱鎮圧に派遣されたものの戦死した板倉重昌の墓碑も。
重政は島原城築城のためなど重税で人々を苦しめ、相当、キリシタンを弾圧している。彼の急死の後、後を継いだ息子の勝家は、父以上に冷酷な人物で、島原の乱は、この父と子が原因となって、キリシタンだけでなく、重税に苦しめられた農民達も一緒になって決起している。当時の圧政の酷さに衝撃を受けるのみ。
無慈悲な人でも、死ねばみんな仏だろうか。ここには書けないほど酷い仕打ちをした人でもあり、私には納得いかないけれど。
勝家は島原の乱の後、咎められ、江戸で切腹ではなく、斬首となっている。弟の重利は会津に預けられて自害している。江戸幕府260年ほどの間で、切腹ではなく打ち首にされた殿様は、勝家ただひとりだ。勝家が身のまわりのことをさせていた小姓の権兵衛は、松倉家に代々使えていたというだけで、江戸まで同行したあげく、勝家の処刑翌日に斬首され、もうひとりの小姓は流罪になっている。権兵衛達が気の毒でならない。
以下の写真、門を入ってすぐ右手の鐘楼。涅槃像。松倉重政と板倉重昌の墓碑。





