6日の三渓園で、鎌倉の縁切り寺で有名な東慶寺の旧仏殿。大好きな蝋梅(ロウバイ)も咲いていた。
現在の東慶寺は花の寺として賑わっているし、私もよく脚を運ぶけれど、仏殿が三渓園に移築されているということは、当時、相当に財政逼迫ではなかったのかと調べてみるとそうだった。
明治維新によって縁切寺法が廃止され、寺領からの年貢を失って山林を残すのみとなったが、多くは横領されたとか。
尼寺だったが、最後の順荘尼は手伝いの女性と雌猫と暮らし、寺は荒れるばかりで、1902年(明治35年)に尼寺としての東慶寺は幕を閉じたらしい。そして、5年後の1907年(明治40年)、三渓園に移築されたようで、修繕する術のない荒れた仏殿も、移築されたから残っているのだろう。原三渓氏に感謝。
ちなみに、鎌倉の今の尼寺は英勝寺のみ。
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