上京して上野に泊まっている知り合いと16時、上野駅で会い、タクシーで山谷のど真ん中というか、日本堤1丁目の珈琲店「バッハ」に直行。
バッハはとても有名な珈琲店だ。十数年ぶりかと思ったけれど、二十数年ぶりと判明。
私が知り合いと行ったとき、まだ改装前の古い感じで、とても落ち着ける店だった。
「改装されたのはいつですか」と訊くと、「20年になります」と言われてしまった。あっという間の20数年でびっくり。
その二十数年前、ここに案内してくれた30年来の友人、同人誌で一緒だったS氏は日本堤1丁目の人なので電話すると、急だったにも拘わらず、30分ぐらいして来てくれた。時々手紙は行き来しているものの、10年ぶりぐらいだった。
バッハを出て浄閑寺(じょうかんじ)まで案内してもらって別れた。
遅いので、続きは明日。
明日も出なければならなくなるかもしれない。
バッハはとても有名な珈琲店だ。十数年ぶりかと思ったけれど、二十数年ぶりと判明。
私が知り合いと行ったとき、まだ改装前の古い感じで、とても落ち着ける店だった。
「改装されたのはいつですか」と訊くと、「20年になります」と言われてしまった。あっという間の20数年でびっくり。
その二十数年前、ここに案内してくれた30年来の友人、同人誌で一緒だったS氏は日本堤1丁目の人なので電話すると、急だったにも拘わらず、30分ぐらいして来てくれた。時々手紙は行き来しているものの、10年ぶりぐらいだった。
バッハを出て浄閑寺(じょうかんじ)まで案内してもらって別れた。
遅いので、続きは明日。
明日も出なければならなくなるかもしれない。
四十年ほど前、浅草の千束通りにある、「山の音」という純喫茶で働いていました。そのころ、一時期ではありますが、山谷の深夜喫茶でアルバイトしていたことがあります。
もう何十年も訪れていませんが、当時の浅草は植木市に代表されるような風情あるイベントがいっぱいあり、日々、忙しいときを過ごしていましたが、とても愉しい街でした。
懐かしいです。人類が月にはじめて到着したころのことです。