S0060254_R20日、松橋(まつばせ)神社。
母の両親や兄弟達の墓参りの後で、母の結婚前までのことを知っている3つ年下という85歳のK子さんに会いに行った。母が洋裁学校に通っていたので、この人も、後からそこに通ったらしい。母は謙虚だったので、若いときのことはあまり話さなかったけれど、昭和初期、松橋では有名な家で、すでに絨毯が敷かれ、ソファがあり、ハイカラでやり手の母親(私の祖母)は、町で知らない人はいないほど有名だったことも知った。
松橋神社は母の生家の目と鼻の先。母がいつもここに来ていたのだと思うと感激した。この大きな楠(クスノキ)を母も見上げていたことだろう。この歳になって初めて母の生まれ育ったところに立つことができて、不思議な空気を感じた。
やり手の祖母は雑貨屋さんをやっていて、お産婆さんでもあったけれど、雨の日、踏切に立っていたとき、傘を差していたせいか、ジーゼルの風圧に巻き込まれて轢死。その踏切も案内してもらった。顔以外は酷い状態で、当時のことなので、トタン板だったか雨戸だったか、それに遺体を載せて自宅まで運んできたという。私はまだ小学校にも上がっていなかった。田舎では、どこにも電話のない時代だったので、電報が来たのだろう。お母さんが亡くなった……と、母が4人の子供を置いて出かけた記憶は不思議と残っている。