5月16日、シャルマンにて、早乙女貢氏と。
朝刊で、初めて早乙女貢氏が胃ガンで亡くなられたことを知った。新聞を開いて、大きな字が飛び込み、「あっ!」と大きな声を上げてしまった。愕然……。
23日の午前2時53分だったとか。82歳。
昨日の夜から公になったのだろうか……。
今年も終わろうとしているとき、またも大ショック。
11月末に某新聞社の編集者から、早乙女さんは連載も書ける状態ではなく、具合が悪いと聞いていた。
ハガキの1枚でも出さなければと思っていたけれど、こんな仕事の状態で、落ち着いて手紙も出せず、年賀状に体調はいかがですかと書こうと思っていた矢先。
5月に文芸家協会のパーティでお会いして、後でクラブシャルマンにということになって、いっしょに呑み、話した。
そのとき、鎌倉ペンクラブに入らないかという話をして下さったので、気に入りの拙著を送った。それから連絡がなく、その後、具合が悪いと知って、それで連絡がないのかと思っていた。まさか亡くなられるとは思いもしなかった。
5月のこのときもお元気そうで、いつものように颯爽とされていた。この後、文壇クラブの某店に行かれた。
またお会いできると思っていただけに、悔しくてならない。会ったこともない私を文芸家協会に推薦して下さったのが早乙女さんだった。
早乙女さんの作家生活50周年を祝うホテルの大広間のパーティ会場は、お祝いする人達で溢れ、車椅子の森重久弥さんなどもいらしていたのを思い出す。交友関係の広い方だった。
葬儀は近親者で済ませ、お別れの会は年が明けた2月4日とか。きっと大勢の人達が集まるだろう。
ショックだけれど、私は仕事しなければ。今日締切の短編50枚を、何とか出せる。それから年賀状書きに移り、明日は新聞連載の続きを少しでも書きたい。
今年は亡くなる人が、本当に多い。
朝刊で、初めて早乙女貢氏が胃ガンで亡くなられたことを知った。新聞を開いて、大きな字が飛び込み、「あっ!」と大きな声を上げてしまった。愕然……。
23日の午前2時53分だったとか。82歳。
昨日の夜から公になったのだろうか……。
今年も終わろうとしているとき、またも大ショック。
11月末に某新聞社の編集者から、早乙女さんは連載も書ける状態ではなく、具合が悪いと聞いていた。
ハガキの1枚でも出さなければと思っていたけれど、こんな仕事の状態で、落ち着いて手紙も出せず、年賀状に体調はいかがですかと書こうと思っていた矢先。
5月に文芸家協会のパーティでお会いして、後でクラブシャルマンにということになって、いっしょに呑み、話した。
そのとき、鎌倉ペンクラブに入らないかという話をして下さったので、気に入りの拙著を送った。それから連絡がなく、その後、具合が悪いと知って、それで連絡がないのかと思っていた。まさか亡くなられるとは思いもしなかった。
5月のこのときもお元気そうで、いつものように颯爽とされていた。この後、文壇クラブの某店に行かれた。
またお会いできると思っていただけに、悔しくてならない。会ったこともない私を文芸家協会に推薦して下さったのが早乙女さんだった。
早乙女さんの作家生活50周年を祝うホテルの大広間のパーティ会場は、お祝いする人達で溢れ、車椅子の森重久弥さんなどもいらしていたのを思い出す。交友関係の広い方だった。
葬儀は近親者で済ませ、お別れの会は年が明けた2月4日とか。きっと大勢の人達が集まるだろう。
ショックだけれど、私は仕事しなければ。今日締切の短編50枚を、何とか出せる。それから年賀状書きに移り、明日は新聞連載の続きを少しでも書きたい。
今年は亡くなる人が、本当に多い。
早乙女貢氏の訃報に,驚かれていらっしゃいますね。
親交をお持ちだったとうかがいまして,胸中お察しいたします。
そんな中で,お仕事をしなければならない・・・ですよね。
ご冥福をお祈りいたします。