2019年07月
また異常な大雨が長崎などを襲っている。
女子校時代のクラスメイトが長崎の上五島町に住んでいるけれど、昨日は、24時間で350ミリ以上の豪雨に見舞われ、警戒レベルが最高の5と知り、心配した。夜には解除でほっとしたけれど、地盤がゆるんでいるはずで、まだまだ心配は尽きない。
最近は、「観測史上始まって以来」という言葉が続く。「かつて経験したことがないほどの」という言葉も、頻繁に耳にするようになった。自然災害は日々深刻になっていくだけだろうか。
1〜2枚目、あまり見ない形。ヘメロカリスの「大風車」に似ているけれど、それなのかどうかわからない。
3〜4枚目、クレマチス。
5〜6枚目、印度浜木綿(インドハマユウ)。正しくはアフリカ浜木綿らしい。
この花はなかなか上手く撮れない。鎌倉の大巧寺(だいぎょうじ)などでも毎年撮るのに載せなかったり。すると、この花の写真を撮るのは難しいという人のブログがたまたま目に入り、なるほどと。つまり、この花は次々と咲くものの、すぐに終わってしまい、綺麗に咲いている花の周辺の枯れた花が画面に入ってしまい、美しい部分だけを切り取るのは難しいと。言われてみれば確かにそう。
4枚目のこちらを向いている花の下の終わったものがガーデンの人によって手入れされ、きれいに処分されているので、今回、何とか枯れているものが画面に入らずにすんだよう。それに、白い花も私は苦手。白い花を写すのは難しい。
女子校時代のクラスメイトが長崎の上五島町に住んでいるけれど、昨日は、24時間で350ミリ以上の豪雨に見舞われ、警戒レベルが最高の5と知り、心配した。夜には解除でほっとしたけれど、地盤がゆるんでいるはずで、まだまだ心配は尽きない。
最近は、「観測史上始まって以来」という言葉が続く。「かつて経験したことがないほどの」という言葉も、頻繁に耳にするようになった。自然災害は日々深刻になっていくだけだろうか。
1〜2枚目、あまり見ない形。ヘメロカリスの「大風車」に似ているけれど、それなのかどうかわからない。
3〜4枚目、クレマチス。
5〜6枚目、印度浜木綿(インドハマユウ)。正しくはアフリカ浜木綿らしい。
この花はなかなか上手く撮れない。鎌倉の大巧寺(だいぎょうじ)などでも毎年撮るのに載せなかったり。すると、この花の写真を撮るのは難しいという人のブログがたまたま目に入り、なるほどと。つまり、この花は次々と咲くものの、すぐに終わってしまい、綺麗に咲いている花の周辺の枯れた花が画面に入ってしまい、美しい部分だけを切り取るのは難しいと。言われてみれば確かにそう。
4枚目のこちらを向いている花の下の終わったものがガーデンの人によって手入れされ、きれいに処分されているので、今回、何とか枯れているものが画面に入らずにすんだよう。それに、白い花も私は苦手。白い花を写すのは難しい。
旅を終え、帰途につく日は日曜だったので、朝は5時に起き、館鼻(たてはな)岩壁の朝市に向かった。
毎週日曜、日の出から9時頃までの朝市で、800メートルにも渡って300以上の店が並ぶ。日本最大級の朝市と言われていて、毎回数万人が訪れるというのだから凄い。
6時過ぎた頃には、すでに満員のお客様。みんな早起きだなと驚く(笑)。
野菜、魚、花に山菜、果物にジュース、その場で焼いているパンやラーメン店に、揚げ物、コーヒーと何でもありで賑やか。
100パーセントの人参ジュースと焼き上がったばかりのパンと、味つけ蒟蒻などを立ち食いしながら朝食が終わった。
1枚目、早起きのご褒美と言うように、ホテルの近くで咲いていた美しすぎる朝顔。
2枚目、朝市の出ている岩壁のほんの一部。
最後は八戸を発つ時、駅で。
これで、やっと6月27日〜30日までの青森、秋田の旅の写真が終わった。
毎週日曜、日の出から9時頃までの朝市で、800メートルにも渡って300以上の店が並ぶ。日本最大級の朝市と言われていて、毎回数万人が訪れるというのだから凄い。
6時過ぎた頃には、すでに満員のお客様。みんな早起きだなと驚く(笑)。
野菜、魚、花に山菜、果物にジュース、その場で焼いているパンやラーメン店に、揚げ物、コーヒーと何でもありで賑やか。
100パーセントの人参ジュースと焼き上がったばかりのパンと、味つけ蒟蒻などを立ち食いしながら朝食が終わった。
1枚目、早起きのご褒美と言うように、ホテルの近くで咲いていた美しすぎる朝顔。
2枚目、朝市の出ている岩壁のほんの一部。
最後は八戸を発つ時、駅で。
これで、やっと6月27日〜30日までの青森、秋田の旅の写真が終わった。
種差(たねさし)海岸から、櫛引(くしびき)八幡宮に向かった。
2〜3枚目、四脚門。平屋の門のなかで最も格式の高い形式とか。
4、6枚目、四脚門をくぐると茅の輪。これをくぐって、8〜11枚目の拝殿へ。
10枚目と11枚目の拝殿の縁に、「日本三駒」のひとつ、大きな「八幡馬(やわたうま)」が。実は、我が家にも飾っていたことがあったけれど、ここが八幡馬の発祥地とは知らなかった。八戸の代表的な民芸品で、櫛引八幡宮境内で行われる年1回の例祭の日に、参詣者のお土産として売られるようになったのが始まりとか。3色あり、黒は鹿毛、赤は栗毛、白は葦毛を表しているらしい。
12枚目のひょうたんは、無病息災の縁起物。ひょうたんの蓋を取って、厄、災い、病などをすべて吐き出すように願いをこめて息を吹き入れ、素早く蓋をするとある。その後に蓋を開けたら大変。
13〜15枚目は、重要文化財の銅板葺の本殿。
2〜3枚目、四脚門。平屋の門のなかで最も格式の高い形式とか。
4、6枚目、四脚門をくぐると茅の輪。これをくぐって、8〜11枚目の拝殿へ。
10枚目と11枚目の拝殿の縁に、「日本三駒」のひとつ、大きな「八幡馬(やわたうま)」が。実は、我が家にも飾っていたことがあったけれど、ここが八幡馬の発祥地とは知らなかった。八戸の代表的な民芸品で、櫛引八幡宮境内で行われる年1回の例祭の日に、参詣者のお土産として売られるようになったのが始まりとか。3色あり、黒は鹿毛、赤は栗毛、白は葦毛を表しているらしい。
12枚目のひょうたんは、無病息災の縁起物。ひょうたんの蓋を取って、厄、災い、病などをすべて吐き出すように願いをこめて息を吹き入れ、素早く蓋をするとある。その後に蓋を開けたら大変。
13〜15枚目は、重要文化財の銅板葺の本殿。
キリストの墓を後にして、八戸の三陸復興国立公園、種差(たねさし)海岸に向かった。
1枚目は手前が浜茄子(ハマナス)の花。その向こうが有名な天然芝。広大な天然芝には、3枚目、どうやら人慣れしている海猫(ウミネコ)。餌をやる人がいるのだろう。
4〜6枚目、黄色い日光黄菅(ニッコウキスゲ)が咲いていて、ラッキーと思った。
7枚目の紫色は浅葱(アサツキ)。8枚目、透かし百合(スカシユリ)。9枚目の黄色い花は、麒麟草(キリンソウ)。
10枚目、浜菊に似た花には薄い緑色の蜘蛛が。花蜘蛛(ハナグモ)だろうか。
ここは風が強くて寒かった。春から秋まで様々な花が咲く種差海岸は、いつ訪れても花好きにはたまらないのでは。
1枚目は手前が浜茄子(ハマナス)の花。その向こうが有名な天然芝。広大な天然芝には、3枚目、どうやら人慣れしている海猫(ウミネコ)。餌をやる人がいるのだろう。
4〜6枚目、黄色い日光黄菅(ニッコウキスゲ)が咲いていて、ラッキーと思った。
7枚目の紫色は浅葱(アサツキ)。8枚目、透かし百合(スカシユリ)。9枚目の黄色い花は、麒麟草(キリンソウ)。
10枚目、浜菊に似た花には薄い緑色の蜘蛛が。花蜘蛛(ハナグモ)だろうか。
ここは風が強くて寒かった。春から秋まで様々な花が咲く種差海岸は、いつ訪れても花好きにはたまらないのでは。
大石神ピラミッドを訪ねた後、いよいよキリストの墓に。この墓のことは随分前から知っていた。気になっていたものの、遠い世界のことのようで、まさか、実際にその地を訪れる日が来るとは思っていなかったので、感慨一入。
2枚目、紫露草(ムラサキツユクサ)が入口で迎えてくれた。3枚目、墓に向かう途中の坂道から、のどかな緑の戸来(へらい)の景色を眺めた。昔、本で読んだ記憶では、戸来村というのは「ヘブライ」からきているというものだった。
5枚目の十字架が見えた時には、ああ、本当に来たんだと興奮すると同時に、厳かな気持になった。6枚目、階段を上って見た十字架。
7枚目はキリストの弟、イスキリの墓と言われている。奥に小さく写っているのが、5〜6枚目のキリストの墓。
8枚目の十字架はイスキリの墓で、この右手に写っている石碑は、何と、2004年にイスラエル東部のエルサレム市から「友好の証」として寄贈されたもの。この石碑を挟んでふたつの十字架が立っている。
9枚目のイスキリの墓の向こうに白い教会のような建物。教会かと思ったが、伝承館だった。ここに写っている人達は全員、東洋人ではない外国からの旅行客。意外で驚いた。
伝承館にもゆっくりと立ち寄って帰る時、何と早くも蝉を見つけてびっくり。最後は接骨木・庭常(ニワトコ)だろうか。びっしりと赤い実がついていた。
磔刑で亡くなったキリストは、実は生き延び、結婚し、この地で106歳の天寿を全うされたと伝わっている。古文書からこの墓が発見されたとのこと。
この地では、子供を初めて野外に出す時、額に墨で十字を書く。ダビデの星を代々家紋とする家がある。そして、「ナニャドヤラー、ナニャドナサレノ……」という意味不明の節回しの祭唄が伝えられていて、これはユダヤの軍歌と解釈すれば意味が通るとか。その解釈は、「ナーニャード・ヤラヨウ(汝の聖名を讃えん)、ナーナャード・ナアサアレ・ダハアデ・サーエ(汝は賊を討伐したまい)、ナーニャード・ヤラヨ(汝の聖名を讃えん)」で、旋律もユダヤの唄にそっくりだとか。
他にも色々とあるものの、この歌はインドのサンスクリット語であるとする説など、いくつかある。
ともかく、ロマン溢れる墓には違いない。
毎年、6月の第1日曜日に、この「キリストの里公園」で「キリスト祭」が開催され、墓の前で「ナニャドヤラー」に合わせて盆踊りを踊る。
神主による祝詞(のりと)から始まり、玉串奉奠(たまぐしほうてん)などが行われて盆踊りに。終わると、飲み物を手に「アーメン」と口々に唱えて乾杯と言うのだから、何と平和なことかと思ってしまう。
新郷村のミステリーは、かなり面白い。十字架の下で眠っているのはロシア人ではという説も。
2枚目、紫露草(ムラサキツユクサ)が入口で迎えてくれた。3枚目、墓に向かう途中の坂道から、のどかな緑の戸来(へらい)の景色を眺めた。昔、本で読んだ記憶では、戸来村というのは「ヘブライ」からきているというものだった。
5枚目の十字架が見えた時には、ああ、本当に来たんだと興奮すると同時に、厳かな気持になった。6枚目、階段を上って見た十字架。
7枚目はキリストの弟、イスキリの墓と言われている。奥に小さく写っているのが、5〜6枚目のキリストの墓。
8枚目の十字架はイスキリの墓で、この右手に写っている石碑は、何と、2004年にイスラエル東部のエルサレム市から「友好の証」として寄贈されたもの。この石碑を挟んでふたつの十字架が立っている。
9枚目のイスキリの墓の向こうに白い教会のような建物。教会かと思ったが、伝承館だった。ここに写っている人達は全員、東洋人ではない外国からの旅行客。意外で驚いた。
伝承館にもゆっくりと立ち寄って帰る時、何と早くも蝉を見つけてびっくり。最後は接骨木・庭常(ニワトコ)だろうか。びっしりと赤い実がついていた。
磔刑で亡くなったキリストは、実は生き延び、結婚し、この地で106歳の天寿を全うされたと伝わっている。古文書からこの墓が発見されたとのこと。
この地では、子供を初めて野外に出す時、額に墨で十字を書く。ダビデの星を代々家紋とする家がある。そして、「ナニャドヤラー、ナニャドナサレノ……」という意味不明の節回しの祭唄が伝えられていて、これはユダヤの軍歌と解釈すれば意味が通るとか。その解釈は、「ナーニャード・ヤラヨウ(汝の聖名を讃えん)、ナーナャード・ナアサアレ・ダハアデ・サーエ(汝は賊を討伐したまい)、ナーニャード・ヤラヨ(汝の聖名を讃えん)」で、旋律もユダヤの唄にそっくりだとか。
他にも色々とあるものの、この歌はインドのサンスクリット語であるとする説など、いくつかある。
ともかく、ロマン溢れる墓には違いない。
毎年、6月の第1日曜日に、この「キリストの里公園」で「キリスト祭」が開催され、墓の前で「ナニャドヤラー」に合わせて盆踊りを踊る。
神主による祝詞(のりと)から始まり、玉串奉奠(たまぐしほうてん)などが行われて盆踊りに。終わると、飲み物を手に「アーメン」と口々に唱えて乾杯と言うのだから、何と平和なことかと思ってしまう。
新郷村のミステリーは、かなり面白い。十字架の下で眠っているのはロシア人ではという説も。
十和田ホテルを出ると、いよいよ青森の三戸、新郷村へ。心ウキウキ。長年気になっていたところ。
まずは5万年前のものと言われるピラミッドへ。到着前から、霧が濃いなあと思っていたけれど、1枚目のように、着くとますます濃い霧。これだけでも不安になるのに、何と、4枚目の鳥居の横に、「熊に注意」「ハチに注意」の看板。今時の言葉にすると「マジか……」という心境。
恐い。それでも、はるばる来たのに行かないわけにはいかない。熊に襲われたくはないので、熊がいるなら聞こえるようにと、独り言を言い続けながら歩いた。
熊やハチの心配さえなければ、霧の中の不思議なパワースポットにゆっくり浸れたかもしれないけれど、急いだ。思ったより歩く範囲は狭く、10分もしないで、最後の写真のように、石の向こうに霧に霞む入口の鳥居が見え、ほっとした。
熊やハチも恐かったけれど、何やら目に見えないパワーが満ち満ちているのは感じ、ピラミッドで写した写真は、デスクトップの背景にすることができないでいる。
ここからさらに1枚目の林道を進んで、急斜面を200メートルほど登ると、山頂に巨石があり、上大石神ピラミッドとのことだけれど、ぬかるんだ道と霧の中、そこまで行く度胸はなく、大石神ピラミッドだけで終わった。それだけでもいい思い出になった。
いつか、上大石神ピラミッドまで辿り着ける日が来るだろうか。
まずは5万年前のものと言われるピラミッドへ。到着前から、霧が濃いなあと思っていたけれど、1枚目のように、着くとますます濃い霧。これだけでも不安になるのに、何と、4枚目の鳥居の横に、「熊に注意」「ハチに注意」の看板。今時の言葉にすると「マジか……」という心境。
恐い。それでも、はるばる来たのに行かないわけにはいかない。熊に襲われたくはないので、熊がいるなら聞こえるようにと、独り言を言い続けながら歩いた。
熊やハチの心配さえなければ、霧の中の不思議なパワースポットにゆっくり浸れたかもしれないけれど、急いだ。思ったより歩く範囲は狭く、10分もしないで、最後の写真のように、石の向こうに霧に霞む入口の鳥居が見え、ほっとした。
熊やハチも恐かったけれど、何やら目に見えないパワーが満ち満ちているのは感じ、ピラミッドで写した写真は、デスクトップの背景にすることができないでいる。
ここからさらに1枚目の林道を進んで、急斜面を200メートルほど登ると、山頂に巨石があり、上大石神ピラミッドとのことだけれど、ぬかるんだ道と霧の中、そこまで行く度胸はなく、大石神ピラミッドだけで終わった。それだけでもいい思い出になった。
いつか、上大石神ピラミッドまで辿り着ける日が来るだろうか。
十和田湖畔の乙女の像や十和田神社を後に、十和田ホテルへ向かって緑の中を走っていると、2〜4枚目、今は蔓紫陽花(ツルアジサイ)の季節で、どこかしこで白い花を見ることができた。
5枚目以降、ホテル到着。7〜8枚目、泊まった部屋より見えた十和田湖。すべての部屋から十和田湖が望めるようになっている。
パンフレットに、『秋田、青森、岩手の三県から宮大工八十名を集めて技術を競わせたと伝えられている本館は、日本三大美林天然秋田杉の巨木を巧みに配した木造三階建で、外壁は杉の半丸太を張りつめています』とあるように、なかなか立派な建物だった。
温泉ではないのが残念だけれど、数日ゆっくりするには、なかなかいいホテルだなと思った。食事も美味しかった。夕飯時、日本酒を頼む時「秋田のお酒が揃っていますから」と言われ、青森なのにどうしてと思ったら、「ここは秋田です。よく間違われますが」と苦笑され、十和田湖は青森と秋田に跨がっていると知り、あらま、だった。
5枚目以降、ホテル到着。7〜8枚目、泊まった部屋より見えた十和田湖。すべての部屋から十和田湖が望めるようになっている。
パンフレットに、『秋田、青森、岩手の三県から宮大工八十名を集めて技術を競わせたと伝えられている本館は、日本三大美林天然秋田杉の巨木を巧みに配した木造三階建で、外壁は杉の半丸太を張りつめています』とあるように、なかなか立派な建物だった。
温泉ではないのが残念だけれど、数日ゆっくりするには、なかなかいいホテルだなと思った。食事も美味しかった。夕飯時、日本酒を頼む時「秋田のお酒が揃っていますから」と言われ、青森なのにどうしてと思ったら、「ここは秋田です。よく間違われますが」と苦笑され、十和田湖は青森と秋田に跨がっていると知り、あらま、だった。
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