「藍川京」の部屋

女流作家「藍川京」の花日記と、作品を紹介するブログです

2017年07月

盛りの頃の紫陽花

今日で7月も終わる。早いこと。
まだ載せていなかった横浜イングリッシュガーデンの盛りの頃の紫陽花。
こう暑いと、紫陽花が涼しく感じられる。
昨日の横浜市長選、予想どおりとはいえ、林文子さんダントツで当選。71歳なのに元気。
投票率は低かったのでは。投票に行かない人に政治を語る資格なしと、いつも友達と話している。
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鹿の子百合

横浜イングリッシュガーデンも花が少ない時だけれど、ちょうど鹿の子百合が咲き乱れていた。
この日、、ガーデン内でいちばん目立ったかもしれない。それでも、花はひととき。ちょうどいい時に巡り合うと幸せ。
この暑さで、なかなか遠出する気分にならない。中旬に、宮城によく行けたもの。気合いを入れるといいのかもしれない(笑)。
今日は朝から空が暗い。
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サルスベリなど

1枚目、買い物に行く途中のサルスベリ。実際はもっと綺麗な色をしている。優しい色で癒される。
2枚目も買い物に行く途中の公園に咲いている藤の花。4〜5月頃に咲く花と思っていたものの、今では、夏の暑い盛りにも咲く花とわかった。とはいえ、狂い咲きになるらしいけれど、今年はあちこちで随分と見かける。
元来、春の花なので、今は3枚目のように豆鞘ができている時期なのに、同じ藤棚で花もたくさん咲いている。近くの神社の藤棚でも驚くほど咲いている。今年はこの天候で、植物もおかしくなっているのかもしれない。
最後の酸漿(ホオズキ)も藤棚のある公園で。松島の円通院で、まだ青かった酸漿(ほおずき)を思い出した。
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ミニパイナップルを植える

今年実った3つのミニパイナップルは、熟れてから収穫と思ったのに、2月から半年経ってもオレンジ色にならない。
ひとつはちょっとしたことで5月半ばに折れてしまい、8年前にこの果実を沖縄土産でふたつプレゼントしてくれた友達に送った。
熟した色にならないのに実の上の葉はどんどん成長し、これは重くて限界かもと、ふたつ残ったうちのひとつを収穫した。それが1〜2枚目。3枚目はまだ残している実。1〜2枚目でわかるように、不思議とふたつの葉が出てきていたので、4〜5枚目のように別々の鉢に植えた。ひとつの実がふたつになるのは嬉しい。元の根の方からも新芽が出てくるので、これだけで3本になる。
6枚目の矢印のところが、5月に折れて収穫した茎の脇から出てきた新しい葉で、これにもまた3〜4年したら実がなる。8年前に貰った実の孫になるのか曾孫になるのか。
残ったもうひとつも葉が育ちすぎてきたので、近々収穫予定。
正月には3株だったのに、一気に6株になる。倍以上に増えていくはずだけれど、お返ししたりするので、その分、少なめ。
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またも成長 多肉植物「麗紅」

昨日、久々の雨となり、午後過ぎて止んだので、太陽も隠れているしちょうどいいと、久々に横浜イングリッシュガーデンへ。
園内で植物の手入れをしている人が、昨日までは水撒きが大変だったと。ちょっとひと息だとほっとしたようすだった。
雨が欲しいところと、降りすぎるところと両極端。それも集中して同じ所に降るので災害になる。
全国あちこちに集中豪雨が移動するので油断ならない。岐阜は大丈夫だろうか。

去年5月に買ってきた多肉植物の麗紅が今年の2月に1枚目のように子供ができて、6月にはさらに2枚目のようになったとブログに載せたけれど、それから1カ月。さらに増えてきた。ただ、元々の親がちょっとしぼんできたので、子供に栄養をやって代替わりするのだろうか。
この多肉植物は初めて育てているけれど、面白くてならない。
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松島 円通院の花

豪雨は場所を変えて移動中。今は関東の千葉など。どうしようもないとはいえ、いい加減にしてほしい雨。

今日で宮城の写真は終わり。猛暑で花の少ない時期、ここでのひととき、花を眺めてほっとした。
1枚目、竹林の緑に心なごんだ。2枚目、「白華峰(びゃかほう)西洋の庭」 と名づけられている薔薇の庭の入口。パンフレットには『「三慧殿」の厨子に描かれているバラ、アカンサス、ガーベラ、などをモチーフにして、仏教とキリスト教の出会いによって生まれたバロック的な庭です。』と書かれている。
3枚目、色づく前の緑の酸漿(ほおずき)。この猛暑で、今頃、綺麗な色に染まっているだろう。
4〜5枚目、まだ萼紫陽花も盛りで綺麗だった。
仙台、石巻、女川、松島などまわったけれど、猛暑のこともあり、少々、動きが鈍かった。またいい季節にゆっくりと巡りたい。行くところすべて、東日本大震災の被害に見舞われたところ。この大震災を決して忘れないようにしなければと思った3日間だった。石巻、女川を案内してくれた長年の読者に感謝。
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松島 円通院 三慧殿と供養塔

猛暑ですぐに眠くなる。昨日も昼寝。
豪雨は続くようで、昼寝などとは言っていられない地域の人達には申し訳ないけれど。

昨日に続き、伊達光宗を祀る円通院。猛暑で写真が最悪。
1枚目、光宗の霊廟、三慧殿。別名、御霊屋(おたまや)。
以下は、700年ほど前の洞窟群。鎌倉の(やぐら)のようで驚いた。
主が亡くなると殉死する者がいた遠すぎる時代。今の時代、それほど慕われている主がいるだろうか。
政治の世界では、人を大事にするより罵倒したり徹底して見下すような人がいたり、自分を批判する人に対しては「こんな人達」などと蔑視するトップだったりして、何とも情けない現状。
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松島 円通院 縁結び観音や大悲亭

今度は秋田県などが豪雨災害。今年は何という酷い降り方だろう。
福岡や大分で死者まで出た豪雨がつい先日だったのに、それからもあちこちで酷い天気で、明日まで東北が危ないとのこと。
水は怖い。被害がこれ以上酷くなりませんように。

瑞巌寺を出て、その近くの、伊達政宗の嫡孫、光宗を祀る円通院へ。覗いただけでは小さいところかと思ったのに、広くて驚いた。
1〜2枚目、山門を入ってすぐ左手の縁結び観音。
3〜4枚目、石庭。5枚目、本堂「大悲亭」。
6〜7枚目、猛暑で緑があるとそれだけで嬉しくなる。桔梗の花も、ひととき涼を届けてくれた。
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松島 瑞巌寺

1枚目、伊達政宗の菩提寺、瑞巌寺への長い参道。東日本大震災の時、多くの観光客やこのあたりの人は、瑞巌寺の裏山に逃げたという。この参道も泥浸しになり、左右の松林が塩害でずいぶんと枯れたようで、今、修復中。
瑞巌寺の修行道場は一般には立ち入り禁止になっているものの、震災の時は観光客や住民300人ほどが寝泊まりし、食事の世話もしてもらったという。被災した地域の人の差し入れもあったようで、世話になった人達は松島は忘れられない土地になり、また訪れたいというより、訪れなければならない感謝の土地になったと思う。
この土地の人達の温かさが感じられる。世話になった観光客もボランティアとなって、土産物店などの泥掻きの手伝いなどをした人達もいるとのこと。
4〜5枚目、本堂。6枚目、暑さでバテていた瑞巌寺の猫ちゃん。今回、この猫以外には会わなかった。猛暑で涼しい所に隠れているのだろう。
7〜8枚目、国宝の庫裡。
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松島 五大堂

松島の五大堂。残念ながら2度と行くことはないだろう。原因は4〜6枚目の朱い橋。「透かし橋」と言われるものらしく、渡る時、下の海が見え、高所恐怖症にとっては地獄。渡るのは辞めようと思ったのに、姉が荷物は全部持つから大丈夫などと言って急かせる。何が大丈夫だと思いながらも、途中で止まるとよけいに怖くなって動けなくなるとわかり、半分は小走りで。五大堂まで辿り着いたはいいものの、帰りが不安で憂鬱だった。よくみんな平気で渡れるもの。昔は丸太で、女人禁制だったとか。今も女人禁制ならよかったのにと思ってしまった。
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松島 島巡り

6年4カ月前の東日本大震災で、松島も被害を受けた。船に乗ろうとしていた観光客も津波と聞いて逃げ、遊覧船は急ぎ引き返した。ひとりの観光客の犠牲もなく、地域の人達の誘導で全員無事だった。
泥まみれの土産物店などの清掃を、ボランティアや近くの寺の僧などが手伝い、大震災から1カ月もしないで、どこより早く観光客を呼び戻した。

1枚目、松島湾観光船「仁王丸」に乗って、松島一周。観光客も多かったので600円プラスしてグリーン席に。テーブルつきでゆっくり座れたけれど、外海に出たとき揺れて、私も姉も気分が悪くなった。他の人達は元気そうだった。私と姉は体質が似ている。下船の時は治っていてほっとした。
猛暑で遠くは霞み、景色は今ひとつだった。
6枚目、松島湾で有名な仁王島。パンフレットなどには、この写真が使ってあることが多い。反対側に座っていたので、こんな写真に。
9枚目、牡蠣養殖。最後から2枚目、松島海岸から福浦島に架けられている252m美しい福浦橋。渡りたい気持はあっても猛暑でヘトヘトで無理。また季節のいい時に。最後は観光船乗り場から五大堂を。
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仙台 瑞鳳寺

夏バテか、ただの怠け者か、昨日は夕方になって2時間も昼寝してしまった。
早く秋が来てくれないかなと今から。秋は淋しいけれど。

瑞鳳殿を出て参道を下りる途中に瑞鳳寺があり、山門から中を覗くと現代的な可愛いお地蔵さんが見え、中に入った。
鳳凰殿とともに第二代藩主忠宗公によって建立されたものとか。4枚目は半夏生(ハンゲショウ)。
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仙台 瑞鳳殿/感仙殿

またあちこちで豪雨。ここも昨日の午後3時頃の雷は怖かった。
気温が高いだけ、豪雨と雷の確率が高くなるらしい。
今度は新潟、福島などが豪雨の被害。神奈川の停電もかなりの戸数だったよう。
災害に遭っては復興の繰り返し。ずっと昔から人間の忍耐と奮闘。そして何より、人々の助け合い。

仙台に着いた日に観光したのは、この瑞鳳殿のみ。
上段、瑞鳳殿への石段など。ここも紫陽花が盛りだった。
猛暑で階段がきつかった。この日、1万5千歩も歩いていた。暑さでクタクタになった。
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2〜3段目、瑞鳳殿。1636年に70歳で亡くなった伊達政宗の遺言で、翌年に建てられた御霊屋。戦災で焼失。1979年に再建されたもの。絢爛豪華。御霊屋の両脇の石塔は、政宗の後を追って殉死した20名の家臣たちの宝篋印塔(ほうきょういんとう)。つまり、供養塔。
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4段目の右は瑞鳳殿とそっくりだけれど、感仙殿。二代藩主、伊達忠宗公の霊屋。
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石巻駅

石巻には大きな石ノ森萬画館があるので、石巻駅も石ノ森章太郎の作品で一杯。
駅前には東日本大震災復興祈念の碑があった。大震災に関する碑は、今回、あちこちで目にした。
最後の写真の電車内には、津波警報が出たときの注意書きが貼られていた。テレビで見たあの日の凄惨な光景を思い出さずにはいられなかった。
北陸の3日間、猛暑だったけれど、よく動けたもの。帰宅してから暑すぎてバテ気味。余りの暑さに恐怖すら覚えてしまう。
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大震災後の石巻、女川など

石巻の読者が車で東日本大震災の被災地を走ってくれた。どこもかしこも、すべて被災地だけれど、津波で流された跡地には空き地が多く、当然ながら、家を建て直せない人が多いのがわかった。そこに住みたくない人もいるかもしれない。
1枚目、津波の被害を受けた小学校(石巻市立 門脇小学校だろうか)で、震災の遺構になるということ。囲ってあるものの、まだ手はつけられていない。その手前で待宵草(マツヨイグサ)が咲いていた。その向こうのピンクの花は赤詰草 (アカツメクサ)。 紫詰草(ムラサキツメクサ)とも。
2段目最初、女川の 、新しくできたらしい商業施設「シーパルピア女川」に連れて行ってもらった。「おかせい」で新鮮なウニ丼や寿司を戴いた。みんな復興のために頑張っている。「おかせい」は観光客らしい人達で一杯だった。外人さんも。目の前には女川湾が広がっていた。
5〜6枚目の「あがいんステーション」では復興支援も兼ねて、大好きなホヤの加工品やお菓子などを買った。
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DSCF8707_R仙台から石巻まで、快速でも1時間かかるけれど、窓から眺める建物は新しいものが大半。津波でどこもかしこも流されてしまったとわかる。
同じような大きさと外装の建物。震災後、一律いくらで建てたものではないかと彼女が。なるほどと思った。

時間がある限りと、牡鹿半島も少し走ってくれた。
道中、鹿に出会った。
高台から眺める石巻湾は6年4カ月前と違い、ただただ静かだった。 

石巻 日和山公園と紫陽花

昨日に続き、宮城県石巻市の日和山(ひよりやま)公園。
1枚目、公園のいちばん高い場所。そこから2011年3月11日、逃げてきた多くの人が、津波で流されていく建物などを見ていた。昨日の2枚目の写真のあたり。
中央に走るのは北上川。その向こうは石巻湾で太平洋へと続く。北上川の右手には空き地が広がっているけれど、震災前は建物が建ち並んでいた。震災前の写真と見比べてみると景色は一変している。あれから6年4カ月が過ぎても、あちこちに空き地が多い。
2枚目、私と姉を案内してくれた人。最初に自宅に招かれ、ご両親もよくして下さった。漁師さんにもらったというシャコを出して下さったけれど、こちらでは見ない大きく立派なもので美味しかった。漁師さんが獲れたてのものを色々持ってきて下さるらしい。羨ましいこと。大震災の時のことをご両親も話して下さったので、改めてあの日の惨状を思った。
公園には、こちらより遅い今が盛りの紫陽花がたくさん咲いていた。
最後は「おくのほそ道紀行三百年記念碑」。芭蕉と曾良がここを訪れ、眼下の景色を眺めている。
やっと東日本大震災の一部の土地を訪れることができたけれど、あの大震災の後、多くの災害があり、去年は熊本や大分の大地震。現在は福岡や大分の記録的豪雨で、ボランティアも入って、35度越えの猛暑の中、被災者達と一緒に後片づけをしている。あちこちで復興までに時間がかかるだろう。こういう時、助け合いがいちばん大切。労力や物資、現金。いつ我が身に降りかかるかもしれない災害。
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石巻 日和山公園

2011年3月11日の東日本大震災で、多くの人が逃げたという石巻市の高台にある日和山公園。やっと訪れることができた。まだ紫陽花が綺麗で、横浜などよりずっと寒い土地だとわかった。
1枚目、東日本大震災記念碑。2メートル四方の台座に高さ1.3メートルのモニュメント。御影石の立派なものだった。
帰宅が遅かったので、他は、また後日。
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横浜イングリッシュガーデン 紫陽花

夜には帰宅予定。猛暑で疲れるので2泊にした。
また、いい季節に行ければいいけれど。

写真は横浜イングリッシュガーデンの紫陽花。とてもみずみずしい。真夏の前のひとときの姿。何もかもひととき。
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横浜イングリッシュガーデン バーベナなど/石巻へ

3.11で膨大な津波被害を受けた石巻へ、やっと今日行く予定。
読者の田んぼは瓦礫の山になり、ひとつひとつ退けて元に戻したとのこと。今回、その田んぼの緑の稲穂を見たいと手紙に書いておいた。
あの日、多くの人が逃げたという高台の日和山(ひよりやま)公園にも行きたい。
この公園脇と言っていいだろうか、そこにある鹿島御見神社(かしまみこじんじゃ)のお守りも送ってもらたことがある。
3.11のたびに日和山公園はテレビに映る。

横浜イングリッシュガーデンで1枚目、バーベナ。2枚目は不明。3〜4枚目、一見、百合と間違いそうだけれど、アマリリスの一種でよかっただろうか。以前、名前を書いた気もするけれど、すっかり忘れてしまった。
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ミニヤシの花/仙台へ

地震は相当頻繁になってきているけれど、昨日は鹿児島で5強。指宿市(いぶすきし)の5弱のところに知り合いがいるので、何ごともなければいいがと地震見舞いを書いた。遠くにいては何もできない。豪雨の福岡にも知り合いが。
今日から仙台へ。明日は3.11で被災した石巻の読者に会いに行く。
大震災の後、行きます、行きますと言いながら、あっという間に6年4カ月も経ってしまった。その間に彼女は脳梗塞で手術をしたりも。今は元気だけれど、早く行かなければと。初対面なので楽しみでもあり、ドキドキ。被災地を案内してくれるだろう。
6月末に行く予定が、私の目が結膜下出血で真っ赤になり、あまりにも異様なので取りやめに。元に戻るまで3週間かかってしまった。
3.11の後、湧くようなハエに襲われた被災地を知り、ハエ取り紙を集めて送った。その時に協力して下さった人達、ありがとうございました。
14日帰宅。ブログはいつものように、3日分、予約して行くことに。コメントの返事は14日の夜以降になります。

先月我が家で咲いたミニ椰子の花。実のようだけれど、これが花。
毎年、花が咲くけれど、今回は花が終わって、少しだけ大きい鉢に植え替えた。
花が2〜3ミリとあまりに小さくて、私のカメラではボケてしまって残念。
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