2014年12月




2段目、大玄関近くの緑。
3段目、印月池(いんげつち)。


あんなに綺麗だったのに……と、仕上がった写真をみて、毎年思うこと。
なかなか載せられるようなのがなくて残念。

下段、園内の丹楓渓(たんぷうけい)という紅葉の綺麗な場所から京都タワーを。
ここは京都駅からいちばん近い観光地。東本願寺の目と鼻の先。というのも、ここは東本願寺の飛地境内地(別邸)なのだ。
時間がないときはここに限る。
こんな年末になって救急病院のお世話になった。
今年最初で最後の病院では。
少しでも食べると苦しくて大変。
2〜3日安静にしていたら治ると言われ、インフルエンザでなくてよかったとホッとした。

五重塔を撮りたかったけれど、逆光。
アラマと思って、ダメモトでと思って撮ってみたら撮れていた。
1枚目、午前10時44分から、3段目の52分まで、8分間の記録。
あっという間に五重塔の左から右手へと太陽は移っていった。




今日から正月休暇に入る人は多いだろうけれど、盆正月、祝日などまったく関係なく働いている知り合いも多い。介護、郵便、運転、各店舗……と、書くとキリがないほど。
昔はカレンダーどおりに休むのは当たり前と思っていたけれど、今ではそうではない人がいかに多いかわかるようになった。介護の仕事をしている友達も正月出勤。
ところで、私はまだ年賀状を作っていない。書いていないではなく、作っていないので、元旦に間に合わないかもしれない。居直って年明けから書き始めようかと思ったり。

東寺はいつも京都駅から歩いていくので、大宮通の慶賀門から入ることになる。
前方左手に見えるのは食堂(じきどう)。
慶賀門から見て食堂の左手の方が拝観受付。


ここに入ると、いつも感動。そして、落ち着く。
金堂の中には薬師如来や十二神将、日光、月光菩薩。
講堂の中には国宝の帝釈天、不動明王、梵天や、重文の大日如来他、多くの仏像が安置されている。


3段目、この時期、1本の真っ赤なピラカンサのたわわな実が目立つ。今回も見事だった。
これを見るたびに、大好きな自分の作品「蜜色のときめき」(徳間文庫)の一場面を思い浮かべてしまう。
すでに5年近く前の作品になってしまったものの、もっともっと昔に書いたような気がしてならない。


ここも久々だった。
1枚目、延石の先は庫裏。この庫裏の右手に玄関。
2枚目、玄関先の生け花。

春は紅梅、海棠、石楠花の順に咲く花を楽しめるようだけれど、今は窓の外は冬景色。
悟りの窓なので、これで何かを悟らなければ……。


2枚目は蓮華の間。4枚の額縁になっていて、左から椿、灯篭、楓、松が見られる。これにはいちばん左の窓は写っていない。

ここは皇室との関係が深く、灯籠を囲むのは白砂の造形による菊の御紋。
雪景色は趣があるだろう。ここに限らずだけれど。
しかし、大雪は困る。1昨日、81歳を迎えられた天皇陛下も、高齢者の屋根の雪下ろしについて心配されていた。思いやり深い天皇皇后には頭が下がる。

京都駅で今日のために写してきた巨大クリスマスツリー。
22メートルあり、12万8200球の電飾が使われているとか。
2段目最初、2日、光明寺を出て、初めて今熊野観音寺へ。


残念ながら、ちょっと遅かった。
2枚目、今熊野観音寺から泉涌寺(せんにゅうじ)へ。
落ち葉の向こうに見えるのは仏殿。

3段目、境内で面白い葉を見つけた。
花好きの姉と、この不思議な色づきの葉は何だろうと眺めていたけれど、実があるのに気づいて、どうやら紫式部らしいとわかった。

最後の4段目は民家の前で見つけた春を待つ冬の木の芽。
詳しい人なら何の木かわかるのだろうけれど、私には春にならないとわからない。
モクレン科だろうか。

六波羅門を出る前に、ここに寄ったのだった。
昨日載せた光明院も東福寺塔頭。
龍吟庵には何度か足を運んでいるものの、今回は久々だった。

上段は玄関手前の塀の散り紅葉。
2段目は最初に目にすることになる南庭の「無の庭」。
白砂のみで構成されていて、写っている竹垣の模様は稲妻。


「クリスマスツリー」と真面目にこたえた人がいて、唖然としてしまった。
3段めの2枚は、昇天する龍を表現した西側の「龍の庭」。
わかりやすい写真が写せなくて残念だけれど、青石が龍、白砂が海、黒砂が黒雲を表していて南庭から物語は繋がっている。ここの竹垣の模様も面白い。稲妻か地割れか、どちらだろう。
今年も残り少なくなってきた。師走というだけで、ただただ慌しい。

玄関手前の睡蓮鉢。
睡蓮鉢を覗くのは大好き。
メダカもいたような気がするけれど。


2枚目は、庭園の背後から方丈に向かっての写真。
池泉式の枯山水。
州浜型の枯池に三尊の石組。

今回、ここの写真はあまりないけれど、虹の窓からの景色だけでなく、庭園は角度によって様々な表情を見せてくれるし、腕のいいカメラマンの写真を見ると、贅沢に1日いたいと思ってしまう。
十数年前はまだ穴場で、タクシーの運転手さんが「いいところがありますよ」と得意げに連れて行ってくれたところ。ところが今や誰でも知っているところになってしまった。
それでも、静かに庭を眺めてほしいと、団体客は断っているよう。
1年中、絵になるところだ。




白玉ぜんざいは大好きなので、決まり。
この日は朝から風が強く、玄関前で落ち葉を掃いている人が、今日は2回目とのことだった。

玄関脇は洋間だったけれど、私と姉は奥の和室で白玉ぜんざいを戴いた。
最初は旅館だったのかと思って尋ねると、平井楳仙氏宅だったことがわかった。
明治〜昭和にかけて活躍した日本画家で、ここは大正時代の建築。

平井楳仙氏のお孫さんがいらして、色々お話でき、一番奥のギャラリーも見せていただいた。
テレビは断っているとのことで、ブログもだめかと思ったけれど、客が宣伝する分はかまわないと言われた。

4段目は床の間に掛けられていた平井楳仙氏の日本画。
気さくなお孫さんは絵手紙なども教えていらっしゃるとか。
随分と長く相手をしていただいて恐縮だった。
昨日は、行きつけとは言えないほどご無沙汰の飲み屋さんの、年に1度の恒例のクリスマスパーティがあったので出かけた。
大勢が集まるところは今年は初めて。これでも、ただ今、引きこもり中。


昨日載せた開堂を出て通天橋の方に戻り、庭の方に。いつものコースで、1枚目は愛染堂。
2枚目、愛染堂の右側は北山杉や松の緑。



ここは、紅葉の最中は誰しも歓声を上げる見事さ。

4段目は、今の時期、宝石のように艶やかな蛇の髭(ジャノヒゲ)の実。
これが大好きで、最近書いた短篇にも取り入れた。


いったいあれは何だったの? と、華々しい会見を思い出して思う。
小保方女史が別の細胞をSTAP細胞と勘違いしていたとしたらあまりにもお粗末だし、彼女のまわりにいた人達もおかしい。世界を騒がせ、落胆させた今回までの流れを知りたい。



別名は「常楽庵」。
塔屋に楼閣と珍しい。


緑の杉苔がいつも美しい。
石の配置が何とも見事。
通天橋の紅葉の景色から緑の静謐な空間へと、ここで景色は一変する。



廊下に「講義中につき お静かに」という札が出されていた。
ラッキーなことに読経の最中、中からお坊さんが出てこられ、左の方は偉い方らしく足袋を履かれていたけれど、右の方は寒いのに素足だった。素足と足袋。そんな差があるのは知らなかった。
急のことで、右のお坊さんの素足が写っていなくて残念。
日本は爆弾低気圧の停滞で、大雪や吹雪の地域が大変なことになっている。
ここは寒くても雪も降らず穏やかな天気。
自然界のこととはいえ、地域によって本当に不公平だ。
雪下ろししている人が亡くなったり、現実は残酷。いつまで悪天候が続くのだろう。


東福寺駅から歩き、臥雲橋から通天橋を眺めると、今の時期ならまだ紅葉が見られるのにこんな感じで、思わず、ええっ! と姉と絶句。


1日は雨だったので、どこにも出かけず、その後はホテルと駅だけ。話が弾んだ。
この2日から姉とは歩いた。
2段目、法堂を背景に撮った写真では、少し過ぎているとはいえ、まだ真っ赤な紅葉が見られ、ほっとした。
年末まで長々と京都の紅葉が続くけれど、今、日本列島は恐ろしい爆弾低気圧で凄いことになっている。
根室など潮位が上がって浸水。この寒さの中で浸水とは気の毒でならない。
それに比べ、ここは暖房なしで、昨夜でも室内14度。暖房といえば、足を載せるだけの小さなマットで済ませていた。そして、私の体はおかしいのか? と、一瞬考えてしまった。暑すぎるスーパーや地下街よりはまし。
姉も、病院などの暖房は、かえって気分が悪くなると言う。
昨夜は9時になって、書斎に初めて暖房を入れてみた。設定18度。4度も上がるとぬくぬく。しかし、暖房は1度入れると癖になる。これが恐い。

敷石のあたりの敷き紅葉の綺麗だったこと。
黄色や朱の紅葉に混じって満天星(ドウダンツツジ)の紅も多い。
毘沙門堂の写真が続くので、間に他のところを入れようかとも思ったけれど、全部載せてから次に移ることにした。


並べ方で、ちょっと遊んでみた。
人によって美的感覚は違うので、落ち葉ばかりと思う人もいるかもしれない(笑)。


自分の生活は変わらないとか、誰に入れても同じとか、相変わらずの棄権した人達の言葉。そういう危機感のない人達が国民のほぼ半数とは恐ろしい。これが日本の現実。
選挙への嘆かわしい気持ちと反対に、羽生弓弦君のスペインバルセロナでの滑りには心洗われた。


本堂と弁天堂の間。
水に浮かぶ紅葉も、また格別。
相当雨が降っていた時で、よけいに彩りが綺麗だったのかもしれない。



昨日、期日前投票をしてきた。
選挙前になると街頭インタビューで投票に行きますか、行きませんか、などとよく訊いている。行かないという人は自分ひとりぐらいでは何も変わらないとか、入れる人がいないとか言うことが多い。呆れて言葉もない。
たとえば、行かない予定だった人が急遽選挙に行き、その全員があるひとつの野党だけに投票したとすると、その野党は大勝利で政権交代になり、第一党になって政治は大きく変わる。ひとりの力は小さいけれど、ひとりひとりが集まると大きな力になる。政権交代でなくても、与党は勝手なことはできないと、国民により耳を傾けるようになる。
香港ではトップの行政長官の選挙をめぐって民主化デモが吹き荒れているが、彼等は自分で選びたい人も選べない。最初から中国共産党の意向に従う人が選ばれ、その中から選ぶことしかできない。民主化を望む人にとっては意味のない選挙制度だ。そのために闘っている人達がいる。
日本では選挙の自由があるのに、選挙に行かない人が多すぎる。日本という船の舵取りをしているのは国民のひとりひとりだ。半数も、それ以上もの人が舵取りを拒否したのでは、まっすぐ進むはずの船の方向が逸れてしまう。気づいた時には90度も曲がった方向に進んでいるかもしれない。民主主義の国がおかしくなるのは政治家のせいではなく、それを選ぶ国民のせいだ。そして、一票を投じなかった人達の責任はさらに大きい。



2枚目など、大雨で相当白くぼやけている。

3〜4段目、本堂脇の弁財天社の紅葉は、満天星(ドウダンツツジ)も。
ここで何枚撮ったかわからない。実は、今回の旅行で毘沙門堂に着くなりカメラのどこに触れてしまったのか2枚連写になってしまい、シャッターを押すたびにストレス。






帰宅して説明書を読み、やっと元に戻ったときはホッとした。機械オンチで困ったもの。
パソコンに移した写真から、それぞれ1枚ずつ、すべて消していった。余計なものがあると落ち着かない。
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