「藍川京」の部屋

女流作家「藍川京」の日記と、作品を紹介するブログです

2012年11月

佐渡 宿根木の三角屋

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昨日の続き。佐渡の宿根木。千石船の里。
この三角屋も有名らしい。説明は看板で。
DSCF7795_R宿根木の清九郎の家を出て三角屋に行ってみたけれど、公開民家とはいえ休みの日でがっかり。
共同井戸や白山神社を訪ねた後は、佐渡に着いて初めての食事。とはいえ、新潟からのジェットフォイルで気分が悪かった後なので食欲はなく、甘酒を一杯のみ。確か、100円だった。
DSCF7800_Rこの店では古いたらい舟にお土産が並べてあったので、1冊残っていた「佐渡へんろ」を買った。佐渡八十八カ所霊場案内だ。佐渡にはたくさんお寺があるなあとびっくりした。
そこを出ると、来たときとは違う宿根木の海になっていた。
寒くて、またも雨がぱらついたものの、まだ3時なので、ジェンキンスさんのいる佐渡歴史伝説館に行って宿へ。この日が終わった。

何とか書斎を片づけたものの、10日前に、今日の午後と言ってきたテレビが、それからウンともスンとも言ってこない。昨日になっても時間の詰めもできていないし、変だなと思っていた。
もうじき正午。これから急に、今から行きますといわれても困る。
対応には呆れているけれど、年末の大掃除を済ませてしまったと思うと、年内楽ちん。
久々にすっきりした書斎は、やっぱりいい。ただ、これがいつまで保てるのか……。

佐渡の宿根木と知識人

佐渡の旅、動いた通りに載せていないので、今日は島に渡った8日のもの。
DSCF7763_RDSCF7767_R矢島・経島の後、ここ、宿根木の海岸に着いた。
ここは千石船の里。
廻舟2隻を持っていたという廻船主、清九郎の家に行った。
DSCF7770_RDSCF7773_R外から見ると何の変哲もない家のようだったけれど、中は贅沢。内装は柿渋塗りや漆塗り。
左は、1階の神棚。右はそこから二階を眺めて。
DSCF7771_RDSCF7775_R入口を入ると広い土間の台所があり、その奥のオマエ(居間)の囲炉裏。
右は、立派な梁や贅沢な板戸。上の方は煤で黒くなっている。神棚のやや右手。
下の左が面白い。実は下の小さい明かり取りが当時のままで、上の障子のようなガラス入りの窓は後にできたものとか。
DSCF7777_RDSCF7768_R昔は窓の大きさで税が課せられていて、できるだけ税を払わないように窓を小さくしたとか。どんなに暗くて不便だったかと思うし、明かりのための蝋燭や油を買わなくてはならず、そちらにもお金がかかったのではないかと思うのだけれど。
今も昔も、いくらお金持ちであっても、できるだけ税は払いたくないのだなとおかしくもあった。
二階には若夫婦の寝室などあり、中にねずみが入ってこないようにと、入口にねずみ返しがついていて面白かった。
上の右は、ここの2階から外を見ると、このあたり特有の、屋根に石を載せた風景が。
DSCF7776_Rここは新潟県唯一の重要伝統的建築物群保存地区とか。だから、自由に建物を建て替えたりできず、上の方に移っていく人もいると聞いた。
ここを丁寧に説明してくださった方は、以前、教師ではなかったのだろうか。
この日、新潟のホテルからからタクシーでフェリー乗り場に向かったときの運転手さんが、乗っている間に色々と話して下さって、とても参考になった。そのひとつが、佐渡は知識人が一杯ですよということ。
若いときに都会で大学や大きなところで働いていた人達が、佐渡に戻ってきて老後を送っている。だから、汚い格好をして畑で土いじりしている人だって知識人かもしれないんですよと。
ほうと、感心して聞いていたので、まずはここの女性がそんな人に見えた。それから、佐渡奉行所を案内して下さった男性もなかなかの人と思ったし、トキ保護センターで説明して下さった男性も知識人に思えた。
やっぱり佐渡は凄い。

佐渡の秋

佐渡で9日、妙宣寺から佐渡金山に向かう途中の景色。
紅葉していても佐渡は紅が少ないなあと思いながら、それでも佐渡の秋を満喫した感じ。
道路が濡れている。
雨が降ったり止んだりは、佐渡に着いて、ずっと続いたこと。
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佐渡の旅も、何と今日で19日間載せてきた。そんなに……と、我ながらびっくり。
そろそろ終わりに近い。
3日間の佐渡でも、こんなにいろいろ見てきたのだ。暖かい季節にまた行けたらいいけれど。
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今日は寒い。暖房なしで書斎19度。さすがに20度を切ると寒い。
寒いと言えば、心が寒くなることがある。
信じていた人が、保身のために嘘をつき続けていたことや、信頼されるべき立場でなければならない人が横暴極まりなく、上には丁寧、下には冷淡で、「実るほど頭を垂るる稲穂かな」のまったく逆を行っていたり。
横暴な人間は、たいてい人を傷つけたり怒らせたりしていることに気づいていない。わかっていてわざとやっているにしても、自分がやったことはすぐに忘れ、相手がいつまでも忘れないことには気づかない。
それだけでなく、まわりに尊敬されていると勘違いしていたりして、いかに嫌われているかもわかっていない。そんな、「裸の王様」と言われている人がまわりにいるけれど、もちろん、本人は気づいていないだろう。
最近は、心安らかに過ごせる人達とだけつき合いたと思う。
私には、いつも心遣いをしてくれる読者達もいて、本当に恵まれている。
無農薬の丹誠込めて作ったお米が送られてきたり、体をいたわるようにとの手紙を戴いたり。
モノカキ冥利に尽きるというより、人間冥利に尽きる。
皆さんに感謝。

佐渡のドンデン山

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9日は八幡館を出てから、すでに載せた五重塔の妙宣寺へ行き、大佐渡スカイライン最高頂の標高942メートルを走ったけれど、霧の深かったこと。霧も写したけれど、真っ白いのを載せても……と思い、やめた。
霧の中で大平高原も、何ということはなく、佐渡金山に行き、次に佐渡奉行所に赴いて丁寧な説明を受け、七浦海岸を通って尖閣湾。そして今日の写真のドンデン山を通って両津の椎崎温泉へとなった。
いつも欲張りのハードスケジュール。疲れを癒して帰ってこられるはずがない旅だ……。
上の3枚は大佐渡スカイラインの途中の景色。
下の左側は2004年に建てられたドンデン山荘。4月中旬〜11月上旬までが営業なので、今年の営業が終わるか、終わった頃だっただろう。
下の真ん中はドンデン山から見下ろした景色で、両津の街と両津湾。ここが佐渡では一番眺望がいいとも言われているものの、またも雨。こんなふうにしか見えず、残念。
楽しみはとっておいて、もういちどおいでということだろう。
自衛隊の基地があるところでもある。
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今日の横浜はいい天気。どこかを歩きたくてウズウズしているけれど、今月は我慢しよう。
こちらに比べ、東北や北海道は強風と大雪で大変だとニュースでやっている。
今冬の寒さは厳しいだろうか。もう風邪はひきたくないもの。

尖閣湾とお光のこと

DSCF8038_RDSCF8032_R9日、佐渡で一番の景勝地と言われる尖閣湾に行った。
着いたとき、雨が止んだと思ったものの、また降ってきたり。それでも一時、太陽が顔を出したり。
DSCF8033_R日本海側の今の季節、天気がくるくると変わるので驚くばかり。ちょっと移動すると、前の場所と違う天気だったり。
佐渡の島の成り立ちや尖閣湾のことは、1枚目の立て看板を。
昭和28年に菊田一夫原作の映画 『君の名は』 のロケがここで行われ、「尖閣湾」の名が全国に知られることになったとか。
DSCF8023_R明治大正、昭和初期の生まれの人達には懐かしいだろう。
ここには遊覧船や海中透視船(グラスボート)があり、湾の中も海の中も楽しめるはずが、またまた波が荒くて一切動いておらず、上に載せた大埼灯台を右手に眺めながら遊仙橋(まち子橋)を渡り、揚島展望台へ。
DSCF8036_R荒い波。ブルーの海。
綺麗だったものの、ここの写真も大失敗で哀しい。
後で見てみて、なんだ、こりゃ……だった。
あんな綺麗だったのにウッソ〜と思って、ガックリ。

DSCF8021_R受付を出る前に、いいものがあったので、たらい舟に乗って漕いでいるところを記念撮影……のつもり。
佐渡はたらい舟も有名で、乗り場があちこちにあるけれど、乗っている人はひとりも見かけなかった。春先から夏のものかもしれない。
このたらいに「お光」と書いてある。前日に寄った矢島・経島にもお光の碑があった。そこで、お光とは何者かと調べてみると、浪曲「佐渡情話」で知られるお光、吾作は、本名は「おべん」「藤吉」というとのこと。
浪曲は聴かないしなあと、その先を調べた。
『柏崎の藤吉は、佐渡通ひの船頭だった。海が荒れて佐渡に長居をしたとき、おべんと恋仲となった。藤吉が別れを惜しみつつも柏崎へ帰ってから、おべんは、日増しにつのる思ひを堪へきれず、たらい舟にのり、荒海の中を柏崎へと漕ぎ出した。やがて日が暮れて岬も見失ひ、つひに波に飲まれて帰らぬ人となった』とのこと。
哀しい恋の物語というより、あの荒海をたらい舟で渡るかァ……? と、まずは唖然とした私だった。
それはともかく、柏崎市番神の諏訪神社に、お光吾作の墓と、お光のたらい舟があるとか。
今日は雨。中断していた片付けをしなくては。

佐渡の七浦海岸

DSCF8013_R七浦海岸は全国にいくつかあるけれど、これは9日の佐渡の七浦海岸。高瀬で。
「七浦海岸は、相川地区の鹿伏から二見までの7つの集落をまたぐ10kmの海岸線。典型的な隆起海岸で、穏やかな風光の中にも珊瑚が散在していて変化に富んでいる。
DSCF8014_R独特の海岸で夕日が美しい」と、新潟県公式公法サイトに書いてある。
全部、ほとんど同じ場所で撮ったけれど、ここでも雨。
2枚目と3枚目は、仲のいい夫婦が語り合っているようにふたつの岩が並んでいるので夫婦岩。
DSCF8009_Rここは七浦海岸の代表的な景勝地らしい。
雨でこんな写真だけれど、インターネットでここの写真を見ると実に素晴らしいものが多く、カメラ愛好者は天気のいい日は1日粘りたくなる場所かもしれない。青い海面が鏡になって夫婦岩を写しているものなど、唸ってしまうほど美しい。夕日もいい。
DSCF8016_R「岸辺の岩の大きな洞窟は、縄文時代の住居跡」と、ネットのあちこちに書いてあるけれど、そこまで知識がなかったので気づかなかった。悔しいなあ。
縄文時から佐渡に人が住んでいたとは知らなかった……。
後の2枚は夫婦岩周辺の景色。
DSCF8010_R花もそうだけれど、景色も決して同じものはなく、1日そこに立っていれば、光の関係で景色もどんどん変わる。まして四季の移ろいの中ではどれほど変化することだろう。だから、好きな花を見るのに、毎年、同じ場所に足を運びたくなるように、景色も気に入れば、四季を通じて眺めて見たくなる。佐渡もそうなった。
窓から眺める富士山に飽きないのと同じ。窓から富士山を眺められるマンションばかりに引っ越し、富士山を見続けて30年になる。今、その年月を数えてみて、ちょっとびっくり。この分では後50年、100年見続けも飽きないだろう。

佐渡金山の紅葉

9日の佐渡金山。
宗太夫坑を出ると、1枚目の橋が架かっていた。
橋の途中から、出てきた所とは別のふたつの入口が見えたので写した。
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2列目の2枚は橋を渡ったところにある土産物店脇の紅葉。
佐渡は黄色が多かったので、この紅は目に鮮やかだった。
右端はチケット売り場の外から。朱いのは満天星(ドウダンツツジ)。灯台躑躅とも書く。
どこにでもある珍しくない植物だけれど、どこでもこの紅の主張は強い。
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DSCF7988_R最後は大失敗で悔しい1枚。国指定史跡の「道遊の割戸(どうゆうのわれと)」「山頂を真っ二つに立ち割った壮大な採掘跡は佐渡金山の象徴」と、パンフレットに書かれている。
もっと近くに行って見たかった。やはり雨にたたられた。

もしかして、近々、テレビのインタビューが入るかもしれないので、今から書斎の片づけ。書斎はすぐに汚くなる。書斎は写される気がして。
しかしまあ、何となく慌ただしい。
先週の17日は父も92歳になった。今年はよく救急車で運ばれ、今回も危なかったけれど、何とか退院。誕生日を無事に迎えることができた。父のことだけでも落ち着かない日々だ。
来月は友達も、胆嚢全摘手術とか。私は同じ手術を受けて6年になる大先輩だ。まわりに病人が多い。
体を動かして体力作りをしないと、歳を重ねるだけ疲労が大きくなるようだ。
日が照ってきた。少し歩いた方がいいかもしれない。

佐渡金山 宗太夫坑

佐渡と言えば金山。佐渡2日目の9日、佐渡金山に行った。
周囲の山々の紅葉が美しかったけれど、やはり、赤は少ない。
3枚目が佐渡金山入口。ここで入場料を払う。
中は二手に分かれていて、まず右の宗太夫坑コースへと。
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2列目の写真1枚目が宗太夫坑の出口。
後は、かつての坑内の採掘風景を再現した人形があちこちに置いてあり、説明書きがある。
閉所恐怖症なので、圧迫感があって恐かった。
こんなところでよく仕事ができたものだと思うしかなかった。
やはり、ここで働いていた人達は短命だったとのこと。
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写真下左など、見下ろすと、地中深く吸い込まれそうな気がして、さっとその場を退却した。
坑道の総延長は約400キロに及ぶとか。鏨(たがね)と土楔(つちくさび)だけで、全部、手で掘っていったのだから凄い。そのうち約300メートルが公開されていて、こういう人形が70体あまり置かれている。
早く出口にならないかと、そんな思いだった。400キロなど気が遠くなる。発狂しそうだ。
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1601年に佐渡金山が発見され、江戸幕府にとって重要な財源となり、徳川幕府直轄の天領となって、300年も幕府を支えたのだ。
商人達も集まってきて寒村の人口が一気に増え、一番多いときは8万人と、島の誰かが仰っていたような。……天領でもあり、全国から人も集まり、独特の文化が根付いていったのも頷ける。
ここには2度と入りたくないと思った。上からポトポトと水滴も落ちてくるし、息苦しくなった。

今日は雨。
昨日の夜、今日が休日と知った。勤労感謝の日とか。
今日から3連休の人は雨で生憎のよう。

佐渡 歴史伝説館

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1枚目は佐渡の真野御陵近く。写真が酷すぎるけれど。
佐渡観光協会のネットを見ると、真野御陵については次のように記されている。
『正式には順徳天皇火葬塚ですが、御陵と同等の扱いで宮内庁書陵部で管理しています。順徳上皇は「承久の変」へ配流され、22年の在島の末、帰京の望みも絶え、絶食のはてに1242年9月12日に46歳で崩御されました。翌日火葬され、その跡に松と桜を植え目印としたのがこの火葬塚「真野御陵」です。御遺骨は翌年京都へ奉持されるまでこの塚に埋葬されていました。近くの真野宮は順徳上皇を祀った神社です。』

この真野御陵近くにあるのが、佐渡歴史伝説館。
このときも雨で、暗かった。
2枚目の瑞鳥(ずいちょう)は幸福を招く鳥、めでたいことの起こる前兆とされる鳥と言われ、昭和天皇の在位60年記念切手にもなっている。
3枚目の伝説館の入口にも2羽。両津のフェリー乗り場の待合室にも、大きな瑞鳥が飾られていた。
上の4枚目は佐渡の朱鷺(とき)。
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伝説館の建物に入ろうとすると、「今ならジェンキンスさんに会えますよ。4時までだから」と、館内で働いているらしい人に言われ、おっ! と思ったものの、何と伝説館は、1枚目の順徳天皇第一皇女の慶子女王の人形が動き出しておしゃべり。これが終わらないと、次の第2景の順徳天皇・配所の月の人形が動き出しておしゃべりしないことになっていて、この後、順徳天皇絵巻物があり、日蓮聖人が3景もあり、次に世阿弥が2景。それから2階に上がり、右端の佐渡の伝説の語り部のおじいちゃん、おばあちゃんになる。そして、まだ続く……。
等身大のハイテクロボットや実物大のセットなので、時間があればじっくり聞きたいものの、全部聞いていたら(見ていたら)ジェンキンスさんに会えない……と、早々に焦りだし、4景の日蓮聖人・佐渡法難の途中で2階に駆け上がった。そこでまだ2階の人形達があるのを知ったわけだけれど、パスして奥の別棟のお土産屋さんに。
ジェンキンスさんがいた。間に合ったというわけで、帰宅した10日に載せた、ジェンキンスさんと一緒の写真を撮ってもらうことができた。
また佐渡に行ったら、早めにここに行き、まじめに全部見よう。
DSCF7827_R最後の写真は、このお土産屋さんの出口で。入口だったか?
ここのところ、ちょっと食欲がなかったけれど、また食べられるようになり、体重も47キロに戻りつつある。私は46〜48キロがベストだけれど、48キロだと太ってきた、まずい……と思い、47キロを切ると心配になる。

佐渡 皇室御用達の宿

DSCF7838_RDSCF7842_R佐渡の第一夜は、八幡温泉の八幡館だった。もの凄く背の高い赤松林の突き当たり。
ここは佐渡唯一の皇室御用達の宿。

DSCF7840_RDSCF7848_R佐渡には順徳天皇も流されているので、真野御陵もあり、毎年、皇室がいらっしゃるとか。
ここは7階建てで、そこはスカイラウンジ。海が見えて景色がいい。
6階が皇室の泊まられる貴賓室があり、特別室は2部屋。何と案内されたのが6階で、皇室の人が泊まられる同じ階でびっくり。
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いいのかなあという感じがした。お上品にしなければ……などと思ったり。
部屋の仲居さんが何とも上品で、なるほど……と思った。こんな上品な人にお世話してもらうのは悪いなあと思ったほど。
食が細いので料理は少なめにと伝えておいたけれど、カニも1匹。食べきれなかった。
デザートは佐渡の今の時期は「おけさ柿」。渋柿の渋が抜いてある。そして、これはシャーベットにしてあった。
佐渡のあちこちに、おけさ柿の畑があった。
食後は地下で地元の人達が、相川音頭や佐渡おけさを踊ってくれた。
本当に佐渡はいい。

佐渡の五重塔

DSCF7922_RDSCF7881_RDSCF7889_R佐渡の9日目は、国の重要文化財に指定されている妙宣寺に 行った。
正しくは阿仏房妙宣寺(あぶつぼうみょうせんじ)佐渡の絵はがきには、たいてい入っている建物。1枚目は仁王門から。
これは日光東照宮の五重塔を模した木造・純和風の高さ24.11メートルの五重塔。新潟県では唯一の五重塔らしい。
棟梁は相川の茂三右衛門とその婿養子金蔵と伝えられ、親子二代30年がかりで完成させたといわれているものの、各層とも勾欄がないために未完であるとも言われているとか。
これも雨の中で、傘を差して撮ったものの、どうもピントが合っていないような。おまけに、せっかくの黄色い紅葉もぼけていて、とても残念。
後で見て、あらら……とがっくりだった。
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下の段、左より祖師堂、真ん中は本堂。
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あと10日で12月。
ぼっとしていても慌ただしくなる。
午後から某社の編集者が来訪。

「禁色(熟)」発売

DSCF8217_R都内では20日頃、発売。地方では少し遅れるかもしれない。
コスミック文庫より「禁色(熟)」。
普通、禁色は「きんじき」と読むのだけれど、これは「きんしょく」ということらしい。
50枚ずつを7人でのアンソロジー。

佐渡の長谷寺

DSCF8172_R佐渡の清水寺(セイスイジ)の次は、花の寺長谷寺(ちょうこくじ)へ。
これまたややこしく、ハセデラではなく、チョウコクジ。
この長谷寺は807年に、「弘法大師の創肇なり」と『古伝縁起』に記されているらしい。
地形が奈良の長谷寺に似ているので、この名前が。
DSCF8174_Rハセデラでは申し訳ないということでチョウコクジだろうか……?
世阿弥もここに立ち寄っている。
日蓮上人もこの寺に立ち寄ったと考えられているとか。
最初の写真は、県指定天然記念物の三本スギ。参道の最初の階段を上りきったところにあり、大きいなと圧倒されて写した。
DSCF8177_R帰ってから調べてみると、古くから「長谷の三本杉」と呼ばれている有名な杉とわかった。
樹高約50メートル、幹まわり6.4メートル以上の大木。樹齢は推定千年以上。
やはり、木から出ている気がちがう。
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2枚目は身代わり地蔵。
3、4枚目は県指定文化財の五智堂。
1687年建立。この多宝堂は内陣は円形平面をもついわゆる大塔形式とかで、全国でも数少ない貴重な建物とか。
DSCF8184_Rこれが目に入った途端、鬱蒼と茂った木立の中の朱がきれいだなあと惚れ惚れした。
5枚目は境内奥。もう寒々しい景色に。
そこから、また落ち葉散る石段を降りた。

DSCF8185_Rここでもずっと雨にたたられたけれど、ウサギが出てきたのにはびっくり。草を取るために訓練を受けて放し飼いされているとか。ほのぼのとしていていいなあと思った。雨のせいか、1匹しか見られなかったけれど数匹いるらしい。木陰に隠れたので写せなくて残念。

今日は1カ月ぶりに整体。別に骨の不具合はないけれど、予約もしてあるし行っておいた方がいいだろう。
寒くなってきた。あんなに熱い夏が続いていたのに、やはり冬はやって来る。

佐渡の清水寺 2

DSCF8158_R昨日の続き。10日の京都の清水寺(きよみずでら)を模した佐渡の清水寺(セイスイジ)観音堂。
舞台の方は黄色い紅葉で染まっていた。
今年は特になのか、毎年なのか、佐渡の紅葉に紅は少なく、黄色が大部分を占めていた。
DSCF8156_Rそこを出て、「救世殿(ぐぜでん)」と書かれている額を写し、観音堂を後にした。
このときも雨。
7日に着いた新潟も悪天候なら、佐渡でも雨は降ったり止んだりで、傘を差したり閉じたり、大忙しだった。
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これで終わりかと思ったものの、観音堂を背にして、山門手前を少し右に行くと、地面は一面の黄色。息を呑んだ。
ここには高さ26メートルのオオイチョウがあると後で知った。
雌雄の銀杏2本で、1本は樹齢1000年。
DSCF8164_R信仰の対象にもなっているとか。けれど、清水寺ではなく、仁王門手前の民家の敷地内にあるとのことで、寺を後にするとき、ちらり見た銀杏がそれだったよう。だから、この清水寺境内の銀杏ではないだろうけれど、ここの銀杏の絨毯も素晴らしかった。それだけに写真が上手く撮れていないのが、とても残念でならない。もっと綺麗だったのにと思う。
DSCF8167_R清水寺を後にして、やはり行ってみたかった花の寺長谷寺(ちょうこくじ)への途中、花が終わった葛(クズ)に実が生っていた。花はよく目にするものの、実はなかなか気づかないので、パチリ。
明日は長谷寺(ちょうこくじ)を。

佐渡の清水寺 1

DSCF8129_R佐渡のことは順番にと思ったけれど、毎日4〜5枚載せていっても2週間かかることがわかり、今の時期の紅葉から。
10日の帰りの日に寄った雨の中の清水寺(セイスイジ)。
京都の清水寺(きよみずでら)を模したものと聞いていたので、ここにはどうしても行きたかった。
古い仁王門に辿り着き、山門の「清水寺」の名前を見たときは嬉しかった。

DSCF8137_R石段を上っていくと、この山門が。そしてその向こうに、清水寺だと思わせる舞台が。2、3枚目。
京都の清水寺を知っている人なら、おおっ! と思うだろう。
こちらのキヨミズデラではなく、セイスイジの方については、このお寺の案内から抜粋。
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『当山は、新潟県佐渡市新穂大野にございます。清水寺「せいすいじ」と読み、京都の清水寺を模して建造された救世殿(ぐぜでん)がございます。境内には、仁王門、山門、観音堂、本堂、庫裡があり、四季を通じ木々が織り成す風景は、また雅です。
DSCF8144_R清水寺の由緒第50代桓武天皇は、京都、清水寺の本尊千手観世音菩薩を深く信仰し、この遠い佐渡の地の人々が容易に京都を参拝できないことを嘆き、延暦24年(805)僧、賢応法師に佐渡に赴く勅を下す。法師がこの地を訪れ川の流れに光るものを見つけ、その源流をさがし当山に至り、松の根に一夜を明かす。
DSCF8153_Rすると翌朝法師が目を覚ますと不思議なことに、光明赫々たる童子が出現し法師に向かい「善き哉、善き哉、仏子末世衆生二世悉地を祈らんと頼む。奇特なり、この地は大悲応現の地なり。願わくば一宇を建立し、聖容を安置し、敬礼供養せば諸願を成就せしめん。」と告げる。

DSCF8148_R法師はこの出来事を桓武天皇に伝えると、天皇は歓喜しその出来事が起こったこの地の東面の山腹を撃ち、当寺を創設する勅を法師に下し、大同3年(808)開基される。(明治36年当山第17世円山在職時由緒書より抜粋)』とのこと。

DSCF8151_Rここは本堂ではなく、観音堂になる。
清水の舞台には黄色い紅葉の落ち葉が散り敷かれ、まだ枝に着いている紅葉には、黄色と赤と半々の面白いものもあった。
この後、本殿脇で、銀杏の黄色い絨毯を見ることになる。
それは、また明日に。
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旅行から帰った翌日から喉が痛く、早くも風邪を引いてしまった。
九州でも妙なものを貰ってきてしまい、ついに1カ月半も寝込むことになってしまい、今回も貰ってきたのではないかと……。
今年は免疫力が低下している。
今のところ熱もなく、喉と鼻。でも、これも夏の終わりの症状に似ている。
昨夜は10時半にベッドに入り、今朝は10時前にやっと起きた。
よく寝るのは風邪のせいかもしれない。
皆さんもお気をつけて。

佐渡 矢島・経島

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8日、昨日載せた佐渡の前浜海岸沿いを南に下ると、島の一番南に当たるところに、矢島・経島(やじま・きょうじま)があった。説明は看板で手っ取り早く……。
ここでは、たらい舟にも乗れるけれど、11月からは休みのようで、休憩所も閉まっていた。
寒かったけれど、たまたまこのときは雨が止み、傘なしで歩けた。
小さな茱萸(ぐみ)らしいものが生っているのを、朱い橋の向こうで見つけた。
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その赤い橋の向こうの島には竹が生えているので、それがヌエ退治に使われたのだろう。
ヌエとは伝説上の生物。鵼とか鵺と書く。
この朱い橋を通るのは恐かった。下は海。たったこれだけでも高所恐怖症には堪える。

今日は10時間も寝てしまった。起床9時前。
何に疲れているのか……。
ちょっとぼっとしていよう。

佐渡の荒海

DSCF7723_R8日、佐渡の両津(りょうつ)の港から前浜海岸沿いを通っているときの海。「海は荒海、向こうは佐渡よ」という歌もある。
佐渡の海は荒れるんだなあと思った。
着くまでのジェットフォイルの揺れで、もう2度と乗りたくないと思ったけれど、いつものことかもしれない。
DSCF7725_R荒れた海ばかりではどうかと、このすぐ後に寄った矢島・経島(やじま・きょうじま)で見た花も載せた。
この黄色い花は、終わりに近づいた弟切草(オトギリソウ)のような気もするけれど、はっきりわからない。

DSCF7727_R今回は写真に失敗して、あまり載せられるようなものがなくて残念だけれど、できるだけ歩いた順に載せていきたい。
佐渡はいいなあ、また何度か行きたいという気持ち。薬を飲んで寝ていけぱいいというのもわかったし、これさえクリアすれば大丈夫だろう。
自宅から佐渡の両津港まで、いろいろ乗り換えて6時間半くらい。
DSCF7738_R遠いと言えば遠い。

今日は岐阜のあたりも雪が降っているようで、富士山の冠雪も綺麗。
昨日は溜まった手紙書きをしたけれど、昨日から書いているのに、まだ終わらない。
今回、3泊4日の旅でハガキ1枚書く余裕がなく、こんなことは初めてで、体力がなくなったなあと思ってしまった。

初めての新潟の夜

DSCF7688_R7日、横浜は晴れていたし、天気予報を見て旅の間は晴れるな、などと呑気に考えていたら、それは太平洋側のことで、日本海側はとんでもない天気だった。
途中の谷川岳の紅葉が素晴らしく、降りたいほどだった。
13時半ごろ新潟に着くなり雨。
DSCF7690_Rまっすぐにホテルに入ったものの、それからすぐに出て、ロシアチョコレートの「マツヤ」に行かないといけないので、信濃川の畔を歩いた。
途中、白川公園に隣接し、信濃川を背にした、かつての県会議事堂「新潟県政記念館」に寄ってみた。明治に建てられたこの建物は、文明開化期の代表的洋風建築とパンフレットに書かれている。
DSCF7686_R最初の三枚の落ち葉は、そこに行くまでの間に撮ったもの。
4枚目が記念館の、何とも美しい外観。桟(さん)瓦葺きで、白い八角塔屋上の尖った部分は銅板段葺き。中を案内していただいた。
最後の写真は、建物脇の南京黄櫨(ナンキンハゼ)の実。南京櫨とも書く。
DSCF7667_Rロシアチョコレートの店「マツヤ」に着いたときは嬉しかったものの、空は暗く大雨で雷も凄く、ヒヤヒヤしていた。
急いでホテルに戻り、休憩する間もなく、江戸時代後期になると遊女が行き交う歓楽街となったと記されている古町の、西堀前通の酒亭「久本」で夕食。
DSCF7670_R今回の新潟行きまで、京都の祇園や東京の新橋と並んで、新潟の古町が三大花街だったとは知らなかった。
この店の女将は現役芸妓さんらしく、しゃきしゃきしている人だった。黒い着物の後ろが濡れていて、どうしたのかしらと思っていると、ビールをこぼしたとか。それからいなくなり、30分ほどして戻ってきた女将さんは濡れた着物を着替え、白っぽい着物と帯で現れた。さすがに、これも粋だった。
次は満杯で入れなかったクラブ。ここのママも、いかにも芸妓さんだったのではないかと思える人だった。このクラブは断念して、大雨と雷の轟く中、やはり着物のママのいる小料理屋「秋山郷」に入り、しばし雨宿り。いい帯を締めていらした。
こうして、かつての旅では経験したことがないほど酷い天候の中、新潟もいいなあと、初めての新潟の夜を過ごし、ホテルに戻って熟睡。
翌朝の佐渡行きのジェットフォイルで酷い目に遭うことなど想像もしていなかった……。

帰りも虹に見送られ

DSCF8118_R10日、帰りの日、両津港に近い「しいざき温泉」の宿で目覚め、窓の外を見ると、虹!
手前は周囲は約17キロの加茂湖。新潟県最大の湖。
8日は虹に迎えられ、帰りは虹に見送られるのかと、何となく心うきうきだった。
DSCF8114_Rこの日、トキの森公園へ行き、そこの人といろいろトキ以外のことを話し、「佐渡ではよく虹が出るんですか」と訊くと、「この時期、よく出ますよ」と言われ、やっぱり……と思った。
この日だけでも大きな虹を2回見た。
虹の佐渡と言いたいほど。
雑用をしていたので、やっと今から仕事。今日は締切なのに、まだ仕上がっていない。急いで書こう。

萬代橋よ

DSCF7710_Rこんな写真ばかりではつまらないだろうと思うものの、明日までは仕事が大変なので、ゆっくりとブログを書く時間がなく。
7日に新潟から佐渡まで乗ったジェットフォイル。昨日、ポスターを載せたのは、海面から浮き上がって航行しているのがわかるかと。
停止中は当然ながら海面に浮かんでいる。
DSCF7711_R時速およそ80キロと書いたけれど、最高速度は90キロ近いらしい。
2枚目は船内。後部3席は授乳専用シート。カーテンで隠れるようになっているらしい。しかし、授乳どころではないと思うけれど、母は強しで、赤ちゃんを抱いていたら気分も悪くならないだろうか。
授乳専用シートの前の席が私達の座る席。
DSCF7646_R席は倒したりできず、シートベルトがついていて、必ず締めなければならない。これだけでもフェリーとは大違い。

3枚目は新潟で泊まったホテルオークラの玄関から、信濃川に架かる重要文化財の、アーチのきれいな萬代橋。
ロスプリモスが歌った「新潟ブルース」の「思いでの夜は霧が深かった 今日も霧がふる万代橋よ」のメロディが浮かび「ばんだ〜いばァ〜しィよ〜」と、つい口ずさんでしまった。
では、仕事を……。
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