「藍川京」の部屋

女流作家「藍川京」の日記と、作品を紹介するブログです

2011年03月

被災地からの無事の知らせ

535e7dcd.jpgひと月前、鎌倉の大巧寺(だいぎょうじ)で四手辛夷(シデコブシ)のつぼみ。今は咲き誇っているだろう。
昨日は、ついに待ちに待った大震災被災地の石巻市の人から手紙。届いた手紙の中に彼女からのものがあるのを見つけたときは、ドキリとした。そして、部屋に着くまでに涙が出た。生きていたんだという嬉しさで一杯になった。
やはり、そこでは多くの人が津波の被害で亡くなっていた。運良く道ひとつ隔てて家が無事で、今は親戚2家族が身を寄せているという。目の前は地獄の風景らしい。
最初のうちは避難所暮らしではないかと、パソコンで探していた。そのうち、新聞の「亡くなった人達」の欄を見るようになった。昨日は一面に600人も載っていた。毎日、これを見るのが恐く、同じ姓の所でドキドキし、名前がないとホッと大きな息をつく毎日だった。同じ地名で死者が何人も出ているので、ダメかもしれないと思ったりもしていた。
さっきクロネコに電話すると、石巻市も全域、配達が可能になったと言われ、今日は彼女への支援物資の買い出しに行く予定。
仙台への食料は翌日に着いたようで礼状が届き、意外と早く届いたたとびっくり。山側はいい方で、海側は悲惨らしい。天からの恵みのようでと書いてあり、私が送ったものを海側の人にもお裾分けしたいものの、足がないとのこと。どこに行くにも歩くしかないらしい。やはり、ガソリン不足が深刻のよう。
被災地の人の生の声を聞くと、まだまだ食べることさえままならないのだと実感する。ここにも第二弾を送りたい。
昨日は37歳で亡くなった友達の命日だった。いい知らせをありがとうと、手を合わせた。
今日は短編締切。もう少し。買い物に行きたいけれど、仕事をしなければならないところが恨めしい。

ヒツウチ

885fdc65.jpg28日の浦島草(ウラシマソウ)。葉が出てきたところ。今のところ、去年より小振りの気がするけれど、それでは雌株にならないので、どんどん大きくなってほしいもの。
昨日、建物周囲の亀裂、陥没などでしばらく休業していた横浜駅西口のダイエーに行ってみたけれど、暗い照明だけでも異様なのに、魚介類はなく、並んでいる品物は、飲み物、レトルト食品が圧倒的に多く、少ない野菜の横に、トイレットペーパーなどが積んであり、かつての店の雰囲気とは大違い。異常事態という気がしてしまった。それでも、トイレットペーパーに手を出す人はなく、これは大丈夫なのだと思って見るだけにした。まだ地震後に買っていないけれど大丈夫。
地下街のスーパーや、そごうデパートの食品売り場なども、震災後は観察しているけれど、品物は多くなっていて、何でも手に入りそうでいて、乳製品、特にヨーグルトの棚はほとんど空ということが多い。昼でこうなので、夕方にはないだろう。
震災直後の物不足に懲りてか、まだ午前中に買い物に行く人が多いような気がする。それでも、乳製品はなかなか手に入りにくいようだ。
納豆は、昨日は1時の段階でそごうにはなかったけれど、ダイエーには、ひとりひとつずつと書いてあったけれど、たくさんあった。数軒まわっていると、どこで何が手に入れやすいかわかってくる。
LG21はない。毎日は入ってこないし、入ってきても数が少ないとのこと。
米、果物、野菜など、以前のようにたくさんあるのに、乳製品の棚だけガラガラというのは異様だ。玉子は高くなっているけれど、必ず手に入る。
それから、いつもはヒツウチで掛かってくる電話は取らないけれど、震災後、被災地の人から掛かってくるかもしれないと思って取るようになっている。さっきも。
まずはどこも、私の本名「○子さんですか?」と訊くので、そうだと言うと、健康食品だとか、金融関係とかの売り込みで腹が立つ。墓地もあった。
今日は、「ヒツウチで掛けてくるのはどうしてか」と訊くと「ちょっと設定がおかしいようで」と言った。バカな。きちんとしたところが、発信元の番号がわからないヒツウチで掛けてくるはずがない。
電話帳に載せていないので、どこでうちの番号を知ったのだと訊くと「去年も1度お掛けしましたが」とか「市外局番に、適当に数字を組み合わせてお掛けしています」というところまであった。
「まったくそちらに記憶はないし、ヒツウチで掛けてくるような胡散臭いところはお断りします」と、ガチャンと切るけれど、こんなときにもおかしな人達、つまり、悪徳商法に近いことをしている人達がいるのだと立腹。それでも、ヒツウチ電話を取らなければならない状況。
いい天気。遅れている短編を必死にやらなければ。

浦島草の不思議/浦島草 3

7a682ec3.jpgベランダの浦島草(ウラシマソウ)の発芽を14日に知って、少し成長したのものを22日にも載せたけれど、これは25日のもの。今は葉も出始めているので、また後日。
すっかり姿が消えてしまう秋から春まで、時々水やりをし、春近くなったらたっぷりと水やりを始める。こうして姿を表してくれたときは、生きていたんだと嬉しくてならない。浦島草も入り込むと辞められない楽しさがある。
この株は今のところ雄花なので、できたら雌花がほしい。買ったとき、雌花だったらなあと思ったけれど、雄花だった。今なら微妙なところで見分けがつくけれど、当時は浦島草に関する知識がなく、雌花だったらいいなと思って持ち帰った。けれど、もっと大き株になったら雌花が咲くはず。
浦島草は不思議な植物で、立派に成長して株が大きくなると雄から雌に変わる。変わらないのがあるかどうかはわからないけれど。どの植物も、入り込むと不思議だらけ。
東スポのエッセイを書いていたとき挿絵を描いてくれていた沢登みよじ女史が、昨日から銀座2丁目の「ギャラリーi(アイ)」で個展をやっているので行きたいけれど、まずは月末の締切を終えてから。4月3日まで。
このエッセイはしばらく書いていないけれど、まとめたものの4冊目が来月に出る。

平和な朝は……

7c17d7fd.jpg鎌倉の大巧寺(だいぎょうじ)で黄梅(オウバイ)。ちょうど1カ月前のもの。この頃、大震災のことなど思いもしなかったなと、また考えた。
福島県いわき市で被災して、千葉に避難している人に、先日、メールで送った詩。
        春の朝(あした)
       時は春、
       日は朝、
       朝は七時、
       片岡に露満ちて、
       あげひばり名のりいで、
       かたつむり枝に這い、
       神、そらに知ろしめす、
       すべて世は事もなし。
このイギリスのブラウニングの詩を覚えたのは、小学校5年生の頃だったと思う。亡くなった母が買ってくれた、分厚い詩の本の中のひとつで上田敏訳。今でも時々、ふっと脳裏に浮かんできて、これが平和な景色なんだと思っていた。
1日も早く、こういう日になってほしいものですとメールすると、避難先の親戚の家のあたりは「平和な景色、その通り、あげひばりが天に羽ばたいています。40年ぶりの畑の景色です。いわき市より200キロメートル離れて」とあり、早く元の家に住めるようになればとのこと。
原発はどうなるのだろう。原発周辺の被災地では、まだ遺体も探せない状況にある。
毎日、二ュースでは伝えきれない被災地が山ほど。

店の棚は一杯

73b74bcf.jpg近所の小さなマンションの植え込みの樒(シキミ)。樒は1本だけ。目立たない色なので、見過ごす人が大半。今は、買い物帰りに、この花を見るのが楽しみ。
昨日は食べ物が入手困難という仙台の人に荷物を送るために、午前中からデパートに。米は余るほどあり、お餅もあり、豆腐に玉子に納豆にと、ともかく野菜から何から一杯。玉子、牛乳、納豆などは被災地の生産者の関係で少ないようだけれど、それでも、けっこう出ている。
地震直後の空っぽの棚が嘘のよう。空っぽのときを知っているので、被災地では、まだまだそんな感じなのだろうと察しがつく。
持てるだけの米や餅、湯を入れるだけでいい味つけの高野豆腐や、暖めるだけでいい五目御飯、雑炊、朝がゆ、鰻まで、元気づけに精いっぱい詰め込んだ。
姉から私に支援物資として送ってきたパンも入れた。そのパンはできたてのように柔らかく、それだけで不思議なのに、2〜3カ月、常温で持つので、いっそう不思議。岐阜の可児市「酵母工業有限会社K」で作っている。その名も「天然酵母のパン」。クリームパンやバターパンを姉は送ってくれた。
イタリア北部だけで育まれる天然酵母パネトーネ酵母と乳酸菌による複合成熟がおいしさの秘密と書いてある。確かに、想像したよりおいしく、見直した。
うちには地震後も食料はたくさんあるので、まだ食べきれないでいた。5月まで持つので間に入れた。柔らかいのは大切だ。パサパサしたものは食べたくないはず。
こちらは食料がこんなにあるのに、食べるものが1日3回、口に入らない被災地の人達がたくさんいると思うと、ここにいるだけでも後ろめたいほど。
ゲラを出し、短篇続き。

被災地より

c1bc94ba.jpg2日、鎌倉の長谷寺で三椏(ミツマタ)のつぼみ。少し咲きかけていたのもあり、今ごろは盛りだろう。行ってみたい気がしている。
昨日は青森と宮城の仙台から、無事とのたより。
仙台の人は太平洋沿岸に近く、とても心配していた。ほっとした。震度7で、それが3回連続してやって来て、その場から逃げたくても逃げられない状況で、台と台の間にいて座布団を被っていたとか。落ちるものはすべて落ち、机などは床の上を行き来していたらしい。
やっと電気が来たものの、水道管が何カ所も切断され、まだもらい水で、食料も手にいらず、飴やお菓子で凌いでいるとのこと。宅急便を調べたら、配達可能地域のよう。何か送れたらと思っている。
安否のわからないのはあとふたり。特に石巻の人は心配で、毎日パソコンで検索したりしている。もしかしたら渡波中学に避難しているかと思ったり。何度も手紙をくれた大事な読者だ。生きていてほしい。
今日中に来月刊行の文庫のゲラを終わらせて、短篇続き。
今年の春は寒い。被災地には無情だ。

「LG21」入手

a68697e3.jpg今日のベランダの椿のつぼみ。ユキツバキ……と言っても種類が多く、細かい名前はわからない。葉っぱは最悪だけれど、つぼみは綺麗。ただ、開くまでは油断できない。もうじき開くと楽しみにしていても、たまに開花前に次々と落ちてしまうことがある。
今年は肥後椿は咲かないよう。侘助は、去年だったか、何故か枯れてしまった。随分と長く生きていたのだけれど、それだけ枯れたので理由がわからない。
昨日、スーパーで「LG21」を手に入れることができ、ほっとした。毎日ドリンクの方を飲んでいたけれど、固形ヨーグルト。それでも「LG21」にかわりはないので。
このスーパーでは、買おうと思っていたバターが売り切れていてアゼン。うちでは、たまに料理に使う。ほとんどなくなり、あと1〜2回分しかないので買いに行った。変だと思いつつ、別のスーパーに行ってみると、普通に並んでいた。それで想像したのは、最初のスーパーでは、誰かが買っているのを見た人が、バターが品切れになるのではないかと思って買い、それを見ていた人がまた買い、一瞬にしてなくなってしまったのではないかと。次の店には普通に並んでいたので、そんなことを考えるしかなかった。呆れた消費者心理だ。
米やパンは余るほど並ぶようになったものの、空の棚も多い。まだまだ不安要素が多い。
締切原稿に、早々にださなければならないゲラにと、ついに忙しくなってきた。

「LG21」なし

d216c6c2.jpg昨日、マンションのすぐ下の公園で白木蓮(ハクモクレン)。一気に満開でびっくりした。ケイタイで撮ったので、説明しないと何かわからないだろうけれど、ともかく、一気に樹木一杯、咲き開いてしまった。春の花が、こちらが追いつかないほどのスピードで開いている。
昨日は、毎日飲んでいる明治の「LG21」を買いたいと、デパート、スーパー、コンビニと10軒ほど歩いたけれど、それどころか、どこもヨーグルト類は棚が空。予想はしていたものの、アゼン。
ピロリ菌の影響を受ける者にとって、LG21は薬のようなもの。これを飲み続けていると胃の痛みがほとんどなくなる。いつも10本ずつぐらい買っていた。地震前に買ったばかりで、2週間分あったので毎日飲めたけれど、あと1本しかなく、今日は飲まずにいる。何日かはいいかもしれないけれど、胃の痛みが激しくなったら、ガスターテンでも飲むしかなくなる。
今まで足りていたものが、いつもは飲まない人まで買っているのか、こうして必要な者に渡らなくなってしまう。困ったものだ。LG21がどういうものか知らず、ただヨーグルトは体にいいと思って買っていく人もいるのだろうか。なぜヨーグルト類が棚からごっそりとなくなってしまうのかわからない。
今、米は余るほど出ている。パンも豊富。牛乳も卵も出ている。すぐには必要ないのに買い漁った人達は、しばらく買わなくていいだろう。
震災後、2週間、私は牛乳は2本買っただけ。卵は買っていない。昨日もあったけれど、もっと必要な人がいるだろうと買わなかった。うちはあまり食べないので、まだ4個あるので、それでいい。お餅もよく食べるので買いたいけれど、まだ少しあるし、みんなが落ちついてからがいいかと思っている。山ほど積んであったら買うけれど。
昨日は、LG21を探しに行っただけで、何ひとつ買わなかった。今日はLG21を買うために朝から出かけてみようかと思ったものの、ゲラが届くかもしれず、出られない。4月刊行本のゲラ。あと1週間で4月なのに大丈夫かと言いたい。
ついに昨日の午後から、原発の影響を受けた水道水を、都内の乳児などには飲ませない方がいいと発表され、大震災の被害やパニックは広がるのみ。だいぶ生きてきたけれど、こんなことは初めて。酷いことになっている中で、たくましく復興に向けて頑張る人達がいる。

デビュー22年

32e25b3e.jpg20日に咲いた時計草のアップ。不思議で綺麗な形をしている。
今日は22年前の平成元年、私のデビュー作「卒業 恥ずかしすぎる体験」が書房マドンナメイトより発売された日。今は幻冬舎アウトロー文庫に「華宴」と、私のつけた原題に戻って発売中。22年書いてきて、今は、ちょっとお疲れ中……。
やっと都内の家具屋さんが来てくれた。破損している本箱をいくつか持っていってもらった。倒れた大型本箱は3段スライド式だったし、分解すると10個以上の本箱になる。破損の激しいものを修理してもらい、また組み合わせるということになる。
わずかに空いていた天井との隙間に何かを入れていても倒れただろう、と家具屋さん。背中の壁に固定していないと無理だったと言われ、今回、そうすることに。でも、本当にそれで大丈夫だろうか。それでダメなら、今回より大きな地震ということになる……。
この地震で仕事も混んでいて、できあがるまで1カ月と言われ、書斎が片付くのは1カ月以上先かと暗澹たる気持ちになる。
でも、昨日は、青森の人から、大丈夫だったとの手紙。よかった。
今朝は心配していた福島県いわき市の知り合いから、原発のこともあり、水道ガスの復旧も遅れていて、千葉に避難しているとの知らせ。兄夫婦のトレーラーハウスに11人で住んでいるとのことで、どんなに窮屈で不便な生活かと思う。
また、地震前の8日に、元住んでいた千葉ニュータウンに行って友達と会ったけれど、凄い揺れで、みんな広場に一時避難したとのこと。そして、実家がいわき市なので、弟夫婦も親戚も、住める状態ではないとの知らせ。
だんだん知り合い達の窮状が見えてきた。
一番心配な石巻市のふたりからは連絡がない。津波の被害があったところなので、本当に心配でならない。連絡がないのはあと4人……。

震災から10日過ぎ/浦島草 2

1495320d.jpg今朝の浦島草。14日に発芽を知ってここに載せたけれど、それから1週間ほど経ち、浦島太郎の釣り竿の糸の部分が現れてきた。面白い野草だ。鎌倉の光則寺、長谷寺、報国寺の浦島草はどこに生えるか知っているけれど、近々、行けるかどうか。
うちの浦島草は2年前の4月末に、談合坂サービスエリアで、大きな立派なものを見かけて買ってきたもの。
去年、発芽したのは3月8日だった。今年は、たっぷりとした水をやり出すのが遅かった。それでも、こうして頭を出してくれて嬉しい。これから毎日が楽しみ。
昨日の夕方、スーパーを覗いてみたら、10キロほどの米もあり、餅もたくさん出ていた。牛乳は売り切れたのか、なかったけれど、米は落ちついてきたのがわかった。また、今日も偵察してみよう。
震災被害地が気になる毎日。読者の安否は調べているけれど、まだわからない。何人かに問い合わせ、無事を確認したのはひとりのみ。まだ生還している人達がいて、救いと希望だ。原発がどうなるのか、心配も多いけれど。

よく働き、よく使う

a4171648.jpg昨日の朝に開いたふたつめの時計草、ジャネット。これで、また、しばらく見られそうにない。1日で終わってしまう。次は早くても4月だろう。でも、よく咲いてくれた。
被災地を思うと、贅沢はできないなと思ってしまうけれど、今日、経済のプロ達4人が、経済を立て直すには、みんながよく働いて、よくお金を使うこととか、みんなが外食することなど言っていて、目からウロコ。
外食すれば、その間、自宅の電気を使わないので電力も助かるし、お金の入ってくる店も助かると言う。今は新宿も新橋あたりも暗くて、人通りも少ないとのこと。こんなことでは経済は停滞するのみだ。みんなが元気にお金を使うことが復興の手助けにもなるとわかった。もちろん、義援金を送ることも復興の助けになるとのこと。
私の行きつけのある店も、地震の次の週は、ひとりもお客が来なかったとのことで、どこもそんなことになったら、日本経済はダメになるとゾッとした。
せいぜい土日の夜の外食は続けることにしたい。財布の紐を締めないことが、経済復興に近づくと理解。
大震災の最中、リビア情勢はどうなっているだろうと気になって仕方がなかったけれど、やっと動き出した。けれど、先行きどうなるのかと心配。
世界中、大変だ。

大震災から10日

1f2ddb7c.jpg2日、長谷寺で三葉躑躅(ミツバツツジ)が咲きはじめていた。
次々と花が咲きはじめるいい季節なのに、今回の大震災はあまりにも被害甚大で、原子力発電所まで大変なことになっている。まだまだ物資が行き届いていないようで、昼食はなく、夜はバナナ1本と蜜柑のこともあると言っている人も。恐らく、1日1食の人達も大勢いるだろう。
そんな中、うちには買い物に行かなくても2〜3週間どころか、1カ月は持つかもしれない食料や水があるのに、今日はパンや果物が姉から宅急便で届き、どうやって食べればいいんだ……と思うほど。これを被災地に送ることができればいいけれど、送れないのが無念。
都内と埼玉に姉の子がいて、パンも米も店にないので送ってほしいと言ってきたので、私も困っていると思ったよう。こちらにはいくらでも食料はある。ここから甥と姪に送れるほど。
熊本の従姉妹には、都内の息子夫婦から、懐中電灯とトイレットペーパーを送ってほしいと言ってきたので買いに行ったら、近所をまわってもなく、遠くまで足を運んで買ってきて送ったという手紙が届いた。日本全国で、こういうことになっているとは……。
電池など、みんながいつもの2倍どころか、6倍も7倍も買っているという。無知と欲に呆れる。いつもどおりに生活していれば、こんなことにはならないのに。
今朝は二ュースに、石巻市の鹿妻小学校に避難している人達が出ていた。手紙を送ってくれる私の読者は鹿妻北の人。A・紀子さん、ご無事で。他にも多くの読者が太平洋沿岸に住んでいる。無事のたよりを待つのみ。

徐々に商品が

397cc10a.jpg昨日、近所の生垣の椿。ここの椿は色々な色が咲き、白が多い。縁取りの淡いピンクが好きで、これを写した。もっとマンションに近いアパートの生垣の黒椿も咲き出すころで、毎年楽しみ。
家で片づけものだけしていても気疲れするので、昨日は駅に状況偵察。いつもより暗い地下道や地下街だけれど、人は多い。そして、そごうデパートの食売り場には商品が溢れ、贅沢な食べ物でも何でも手に入る。品薄だった食パンも見ることができた。ただ、米と餅はなく、牛乳も少ない。卵は見なかったけれど、これも手に入りにくいと聞いている。
うちは、これといって買わなければならないものはないし、バナナとトーストを食べたかったのも、いつもバナナは置くようにしていたし、トーストは、ときどきお昼に食べていたからというだけ。米はそろそろ切れるかなというところだった。
トイレットペーパーも卵も牛乳も、地震後1週間、買っていないけれど大丈夫。買い占めはやめようと、2、3日前から若者達も声を上げ始めたらしい。被災地でなければ普段どおりに生活すれば何の問題もないはずなのに。けれど、昨日の商品の状況から、そろそろ落ちつくだろうと思う。
昨日は、さすがにケーキや和菓子など、いくらたくさん並んでいても、被災地の人達に後ろめたくて買えなかった。けれど、お金も使わないと、経済は滞ってしまう。
山形の人からは大丈夫と、昨日、メールが。葉書が届いたということは、地域も大丈夫ということ。石巻市や仙台の太平洋沿岸に住む読者の安否はまだわからない。いわき市の知り合いはどうしているのか。気掛かりな人達が多い。
ストレスからか、昨日から起きると頭痛。薬を飲むと治まるので、たいしたことはないけれど。

手紙

6fa785be.jpg今日のベランダのムスカリ。小振りだけれど、頭を出し始めた。次々と花たちが顔を出し、癒してくれるけれど、ゆっくりと眺めていられない現状が惜しい。
毎日、夜の10時前後に少し大きな揺れが来るようだ。トイレとお風呂に入るのは勇気がいる。昨夜は風呂上がりに震度3だったか4だったか、慌てて服を着た。裸の時に揺れるのは困る。参ってしまう。
溜まっている手紙の整理をして、できるだけ捨てようと思っても、亡くなった人の手紙は、なかなか処分できない。実に多くの知り合いが亡くなっている。投身自殺した友達や、同じく投身自殺した見沢知廉からのもの。「家畜人ヤプー」を書いたとも違うとも言われている2008年に亡くなった沼正三こと、A氏からの面白い手紙。他の亡くなった同業者からも、たくさん手紙をもらっている。亡くなった祖父母や母や……。そして、嬉しい読者達からのたよりも、たくさん。その中に、今回の被災地の人達もいて心配している。
捨てても捨てても、取っておこうというものが出てきて、それがまた、かなりの量になる。私が亡くなったら、他人にとって、すべての物がクズでしかないのだと言い聞かせながらも、目を瞑ってすべて廃棄ということができない。
本にしろ、知り合いの作家や同人誌仲間からのものが膨大。引越の時にだいぶ処分したつもりが、読めないうちに、次々と溜まっていく。
作品を書くとき、ちょっとした資料になりそうだと思って取っておくものも溜まっていき、これまた処分する方がいいかもしれないと思っている。資料なしで書くとどんな作品になるだろう。無知な私は、ちょっとしたことでも調べて書くので、何もないのは心許ない。ともかく、私が亡くなったとき、膨大なゴミを残すのは、残った人に世話を掛けて申し訳ないので、少しずつ整理していかなくてはと思っていた矢先の地震。できるだけ処分したい。

被災地の寒さ

fc271e6c.jpg今日のリビングの時計草。ジャネットだったと思う。
昨夜、開いているのを発見。朝は開いていなかった。いつ開いたのだろう。今日の夕方には閉じた。去年開かず、2年ぶりに開いてくれた。1昨年の2月に開いたきりだった気がする。こんな時によく咲いてくれたと思う。あとひとつ、近々咲きそうな大きなつぼみがついている。
朝からパソコンが稼働せず、やっとさっき、8時半に稼働。デスクから落ちて調子が悪いのかと思っていたけれど、そうでもなさそう。電話もリビングの子機は使えなくなっている。書斎と寝室のものは大丈夫。
大震災で、食料が大変なことになっていて、店は早々に閉まってしまうし、友達は、家にあるもので凌いでいるとのこと。今日手に入ったのはバナナと蜜柑だけとか。そのバナナは青くて、贅沢は言えないけれど、美味しくなかったとか。
15日に、いつも配達してもらっているお米屋さんが、ガソリン不足で配達できないけれど店頭にはあると言っていた。それなのに、翌日には、その店頭の米も売り切れてしまったとのことで手に入れることができなくなった。アゼン。でも、知り合いから10キロ分けてもらえることに。今朝はパン食だった。パンでも手に入るからいい。いつも和食なので、どうも食欲が湧かない。まだお米はあるけれど、10キロ届くまで大事にしたい。
お店に行っても1日分の食料も手に入らない人もいるらしいとテレビでやっていて、どうして、みんな、いつも通りに生活しないのだろうと思ってしまう。困るのは弱者だ。
お昼は、非常用の期限切れの乾パンを、暖かいコーヒーや牛乳で柔らかくして食べることにした。
まだまだうちには食料はある。食料もガソリンも不足はしないのだから、この機会に、あるものを全部食べてしまわなくては。
それにしても、食べ物が手に入らない被災地の人が、まだ多い。そして、今夜は格別冷えるとか。食べ物や電気を大切にして、被災地の人達に協力しなくては。

また揺れて

c9b481db.jpg先月27日、鎌倉の鶴岡八幡宮の河津桜。大変な時期なので、少し明るいものを。
昨夜は10時31分に、静岡で震度6強の地震。ここは震度4。3までなら何ということもないけれど、4になるとやや揺れが大きくなって不安になる。
静岡の友人にすぐに電話。両親もいないし、娘ひとりだし、一軒家に住んでいるし、2〜3日に1度は連絡を取り合っている人なので、掛けてもいいかと。こんな時は電話が掛けにくくなるので、代表ひとりが掛けて、それを知り合いのみんなに回すというのが一番だ。みんなが掛けると、大事な電話が麻痺してしまう。11日も掛けたい身内に、なかなかかからなかった。
友達は大黒柱にしがみついていたというけれど、無事でよかった。
この混乱で、ついに福岡あたりも物不足になっているらしい。弟が必要な物があるなら送るからと言ってくれていたけれど、今朝、店に行ってみると、懐中電灯、単一電池、水もなかったとか。普段から備蓄していれば、こんなことにはならないだろうに……。こんな事態だから慌てていることもわからないことはないけれど、本当に必要な人に行き渡らなくなってしまう。
昨日偵察してきたスーパー、デパートの食品売り場は、野菜などはたくさんあるけれど、米、餅、牛乳、卵などは少ないような。まったくないところが多い。トイレットペーパーなども品薄とか。
私の方は落ちついてきて、やっと新聞に載っている11日の地震の震度を見て、知り合い達がどんな揺れを経験したか、わかるようになったけれど、千葉、都内の知り合いが多く、震度5や6だったので、みんな大変なことになっているとわかる。それでも、東北の人達の比べるとラッキーだろう。
昨日は郵便局で、まずは赤十字への義援金を託してきた。

異常な食品買いあさり

8c6a70a9.jpg2日、鎌倉の長谷寺で牡丹の新芽。新芽を見るのは嬉しいけれど、このとき、9日後の東日本大地震のことなど予想もできなかった。
阪神淡路大震災より凄まじい災害に、復旧は相当遅れるだろう。けれど、いつの時代も人々はたくましく生き延びてきたのだから。
昨日、歩いて10分ほどの横浜駅へ行ってみると、商店はほとんどシャッターを下ろし、地下街も薄暗く、ふたつのデパートは、1階と地下の食料品売り場のみをやっていた。それも、早い時間に閉めるとのこと。
スーパーダイエーも、周囲がひび割れて陥没して閉まっていたし、空いている食料品店でも、バナナ1本、食パン1斤さえない。卵や牛乳、水のボトルは手に入らないと聞いた。店の入口には、水、懐中電灯、電池は売り切れと張り紙してあるところが多い。マンション下のセブンイレブンも、昨日はパンの棚には何ひとつなく異常だった。
いつも配達してもらっているお米屋さんに電話すると、配達できないと言われたので、ここのお米もなくなったかと思ったら、店頭販売はしているけれど、ガソリンがなくて配達できないとのこと。なるほど。いろいろ深刻な事態になっている。宅急便なども、ガソリン不足でストップする日が来るだろうか……。
この地震の不安で、あれもこれも買っておこうと思うのはわかるけれど、店に行っても、これまでどおりに欲しいものが手に入らない子供のいる家庭など困っているだろう。
しばらくは落ち着かない日々だ。

こんな時の癒しの発芽/浦島草 1

648404d0.jpg今日のベランダの浦島草。こんなときに浦島草が芽を出してくれ、癒される。無事に育ってほしいもの。
今日から出かけるはずだった明日の田縣神社の「豊年祭」のためのホテルは、地震の翌日にキャンセルした。残念。
地震の被害が続いていて、今、福島第一原発の3号機爆発を報道している。
まだ水素爆発ということだけれど、大きな余震がやってきたらどうなるか、心配だ。この爆発での怪我人もいるらしい。
今日もケイタイに地震速報が流れ、独特の警報音は、テレビの速報より緊迫感があって不安になる。
大きな書棚は倒れたけれど、リビングの植木もメダカも大丈夫だった。キッチンの皿なども何ひとつ落ちていない。地震が来たら戸が開かないようになるので、とても助かった。
マンションの造りからして、揺れの方向が背中の書棚を前後から揺らすことになって倒れたようだ。デスクの左脇の書棚は向きが違うので、一部破損だけで終わった。
うちに背中の書棚さえなかったら、ほとんど被害はゼロに近かったはず。
まだ大きな余震が来るようで、油断はできないけれど、こういうときは最後は運命と思うしかない。
電気が3時間止まるようになったら機械は使えないし、テレビも見られなくなるので、その間は手紙の整理や処分をしたいと思う。
この機会に、荷物もできるだけ半分、無理なら3分の1は減らしたい。
まだ、仕事にかかる気にならない。地震の影響を受けている人で、今日、明日の締切のある人は大変だと思う。私は今日の締切も来週の締切も、早めに出していたので助かった。

大地震直後 3

37aeba18.jpg本を片づけ、巨大な本箱を分解して片づけたところ。今朝まで掛かった。
この本箱は後ろの本箱を片づけたところで、完全に倒れた。ここに入っている本を出すには、車に使うジャッキを使って持ち上げないと無理だった。1冊3〜4キロもあるある美術書や大きめの本が入れてあり、ガラス戸がついていたので、本が出ず、人の力では持ち上がらなかった。地震のときに倒れたときは、まだガラスは割れていなかったかもしれないけれど、持ち上げるときの重みでも割れた。この本も、また廊下や他の部屋に積まれ、本箱を何とかしないと、引越前夜のまま。
いろいろ家具を取りつけてもらった家具屋さんに電話したところ、この地震でいろいろ作業が遅れていて、22日にしか来られないとのこと。来てもらっても、それからどうするかになり、今月中は元には戻らないだろう。
仕事のことを考えると憂鬱になるけれど、珍しく3日も外に出ていたのに、この日は家にいてラッキー。千葉や都内にいて帰宅難民にでもなっていたら悲惨だった。
マンションでは電気も水道も使えたし、多くの被災者を思うと、私ほど幸運な者はいないと思えるほど。
酷い状態の福島のいわき市や、青森、山形、仙台……。あちこちに知り合いがいるので心配だけれど、こんな時に連絡しても迷惑になるだけなので、まずは自分のことから。

地震直後 2

0f9c1cb6.jpgこれは地震前の書斎。
地震直後の写真と比べてもらえるとわかるはずだけれど、デスクの椅子の、はるか後方にあった天井までの3段スライド式の本箱が、椅子の所まで倒れてきた。猫のポスターでわかるかと。
天井までの書棚の手前の低い書棚で留まっているのは、手前の戸棚は、デスクの右脇のサブテーブルに引っかかったため。デスクの左の方の天井までの書棚は一部破損したけれど、倒れることはなかった。揺れの方向によるのだろう。
倒れた物は大きいので60万円した。そのくらいの損害ですんだのは幸運だけれど、本の量が膨大で、廊下、リビング、などに積まれているのを見ると、そんなにも入っていたのかと唖然。私の本だけで4冊ずつストックなので、210冊分840冊はあり、資料や他の本などもたくさん入っていたので千冊どころかというところ。
では、続きは3に。
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