26日、上野から銀座のヴァニラ画廊の小妻容子責絵展へ。小妻さんとのツーショットも撮ったものの、この名前でやっているからには、本人を出すのはまずいかもしれないと、これを企画した彫師の、初代彫蓮(ほりれん)さんを出すことに。
小妻さんの責絵は現代の伊藤晴雨。女性の艶やかさが際立っていた。刺青を入れた美女を描くのを得意としている。展示館でも作ると、マニアには応えられないと思った。バックのみごとな絵がわかるだろうか。
さて、彫蓮さんは去年秋、某ホテルで彫師10周年パーティを開いた。私は行けずにお祝いだけ包んだ。このとき、彫蓮さんが彫った中の112人を雛壇に4列に並べ、背中の刺青写真を撮るという凄いイベントがあり、私も後に写真をもらったけれど、壮観だった。オーストラリア周遊中に彫師になる決意をして、帰国して壁画家としても活躍。30歳で彫師として独立。2005年と2006年にはアムステルダム・タトゥー・コンベンション(その場で実際に彫ったり)で、連続して三冠を受賞している実力者。みこしの絵なども提供している。日本的な龍、虎、鯉、牡丹などが得意。
本人も、ご覧の通り、手の甲から首から刺青。今回は後頭部が増えていた。
去年、桜が咲く前の3月中旬に母上が亡くなられたけれど、そのとき、一夜にして3メートルもの大作の桜の絵を描いて見せたと、その絵の写真も送ってくれた。亡くなる2日前で、母上との花見が間に合ったとのことで、孝行者だと思った。今年の夏は20年飼っていた猫を亡くし、だいぶ応えているよう。でも、この日、元気に上野に迎えに来てくれたし、銀座でも、健康的な笑顔だった。
私の仕事は、何とか進んでいる。
小妻さんの責絵は現代の伊藤晴雨。女性の艶やかさが際立っていた。刺青を入れた美女を描くのを得意としている。展示館でも作ると、マニアには応えられないと思った。バックのみごとな絵がわかるだろうか。
さて、彫蓮さんは去年秋、某ホテルで彫師10周年パーティを開いた。私は行けずにお祝いだけ包んだ。このとき、彫蓮さんが彫った中の112人を雛壇に4列に並べ、背中の刺青写真を撮るという凄いイベントがあり、私も後に写真をもらったけれど、壮観だった。オーストラリア周遊中に彫師になる決意をして、帰国して壁画家としても活躍。30歳で彫師として独立。2005年と2006年にはアムステルダム・タトゥー・コンベンション(その場で実際に彫ったり)で、連続して三冠を受賞している実力者。みこしの絵なども提供している。日本的な龍、虎、鯉、牡丹などが得意。
本人も、ご覧の通り、手の甲から首から刺青。今回は後頭部が増えていた。
去年、桜が咲く前の3月中旬に母上が亡くなられたけれど、そのとき、一夜にして3メートルもの大作の桜の絵を描いて見せたと、その絵の写真も送ってくれた。亡くなる2日前で、母上との花見が間に合ったとのことで、孝行者だと思った。今年の夏は20年飼っていた猫を亡くし、だいぶ応えているよう。でも、この日、元気に上野に迎えに来てくれたし、銀座でも、健康的な笑顔だった。
私の仕事は、何とか進んでいる。