「藍川京」の部屋

女流作家「藍川京」の花日記と、作品を紹介するブログです

2008年12月

敵の勝利

c1b75e71.jpg昨日に続いて、同じ日の詩仙堂。
洗蒙瀑(せんもうばく)という小さな滝の流れ落ちるところで、濡れた落ち葉が光って綺麗だった。

欲しい本が横浜の大手書店3軒まわってもなく、昨日はそのまま急遽、新宿南口の紀伊国屋へ行き、仕入れてきた。
趣味で「紅葉」「野鳥と木の実」「葉っぱのふしぎ」「紅葉と落ち葉」「ドングリの図鑑」なども買い込み、ご機嫌。
やっぱり、いざとなったら新宿の紀伊国屋だなあと思ってしまった。
帰りに新宿の行きつけの呉服屋に寄って、未払い分を払った。敵(女店長)は電話で「いいものがある」と、ときどき迫るので、根負けして猫柄の長襦袢を作ってしまい、できあがって送られてきたけれど、むろん、お金は払っていなかった。未払いで年を越すのはいやだと、ちょうどいい機会と支払いに。
すると、私に取っておいたと、また大島紬の猫柄入りの着物を見せられた。
他のお客に売らないで私に取っておいたと強調。安いですと、40万円(反物のみ)。大島はピンキリ。それは安い方だろう。でも、もう箪笥は一杯で一生いらないと言ってある。すると、いつものことで、敵は値引きしますと言ってきた。ついに10万円に(これはウソ)。本当に置くところがないんだと言いつつも、買ってしまった。意志薄弱。敵の勝利。
できあがりは再来年でも10年先でもいいと言ったけれど、来月末にはできるそうな。

2度寝で大慌て

a7d6041b.jpg下と同じく詩仙堂。
左には柿がなり、右奥には丈山椿も咲いていたけれど、椿のアップは撮影失敗でがっかり。
詩仙堂は石川丈山によって江戸時代に建てられ、詩仙堂丈山寺と呼ばれている。その石川丈山の名前にちなんでつけられている椿が、丈山椿。それだけに、うまく撮れなかったのが、よけい悔しい。しかし、いつもよりやや早い開花だろうか。

珍しく朝から2度寝していたら、ピンポ〜ン。いきなり玄関に来客。ロビーからならピンポンの数が多い。慌てて起きて着替えて、玄関のドアを開けるまで1分か……。顔も洗っていないし、その間に、髪は手櫛で……。
ダスキン交換日。いつも外のロッカーに入れておくのに、2度寝前に入れておかなかったので、ピンポンになった。
しかし、10時まで寝てしまうとは、ちょっとのんびりしすぎか。いつも7時半には起きてるのに。疲れていたということにしよう。いきなり玄関では慌てる。これがいちばん困る。
仕事、ぼちぼち。これまた、あとで慌てないといいけれど。


紅葉と芙蓉

c810895f.jpg先月19日の詩仙堂。
あまりよく撮れていないけれど。
芙蓉の花には驚いた。
こんなに遅くまで咲いているものかと。
しかも今が盛りと言いたいほどの咲き方だった。
今年の6月に訪れたときは、この芙蓉の木は、ずいぶんと剪定というか、可哀想なほど切り詰めてあったのに、元に戻っているような……。
キツネに抓まれたようだった。

物書きも編集者も体力勝負

2c925de5.jpg19日、円光寺の落葉。落葉した景色も大好き。

今日は業界の呑み会の誘いがあったけれど断った。どうも大勢で呑むというだけで疲れる。大勢でワアワア言って楽しいのは元気なときかもしれない。少人数でゆっくり話したい歳になった。
こっちまで来てくれるという編集者もいるけれど、師走がいかにモノカキ達とのつき合いで大変か知っているので、その分、ゆっくりして下さいと言いたくなる。編集者も、モノカキ以上に体力勝負だ。
今年も後3週間。まだ短編モードにならず、新聞の続きを書いてしまった。

「蜜悦」 発売

37ac33ae.jpg双葉文庫より、明日、出版予定の「蜜悦」。
地方ではやや遅れるのだろうか。
いつもの5人によるアンソロジーで、各人80枚の書き下ろし。
私の「新枕」は鎌倉が舞台。
気に入った作品に仕上がった。

意外な電話

c2508116.jpgこれも常寂光寺。
地面には黄色いイチョウの葉が敷き詰められ、周囲は紅葉。手前には緑も。

昨日は天野哲夫氏の奥様より丁寧な電話を戴き、驚いた。
天野氏の手帳に私の電話番号が書いてあったからと。
いろいろ戸惑っていらっしゃる様子がわかった。
生前の天野氏の言葉も聞き、天野さんらしいと思った。何もせず、静かにしておいてさしあげるのがいちばんの供養と思った。
「三者関係の罠」に、「余計なお喋りはせぬ口の堅さ(私的パソコン通信の仲間は別にして)を私は信頼したのである」とも書いてもらっているし。

新聞連載、まずは10日分が終わった後は、月刊誌の連載。
頭の切り替えが必要で、今日はあまり進まないだろうけれど、年末を迎えるには、まだまだ頑張らないと。

富士山絶景

2e213a75.jpgこれも18日、友人と訪れたときの常寂光寺。
常寂光寺は起伏に富んでいる。そして、紅葉も様々。あちこちで雰囲気がちがう写真が撮れるのがいい。

今日で新聞連載10日分を終えて送る予定。
まだ10日分なのに、最初に考えていたストーリーとややちがうものが浮かび、これからどうしたものか。
最近の富士山は、朝も、夕日が沈んだ後も素晴らしすぎる。毎日飽きずに眺めてしまう。

悪天気から晴天に

92192d76.jpg下と同じ常寂光寺で、2日後の18日、友達が写してくれたもの。
ふたりで何枚も撮り合った。
私は「写す人」のことが多いので、写してくれる人がいると記念になる。
昨日は午後から突然、恐ろしいほどの風が吹き、大雨になり、雷が鳴ったのに、今日は上天気。最近は天気が変わりやすい。
昨日は横浜で5人のけが人が出たり、屋根が吹き飛んだりしたところもあるような。
部屋にいて、ストレスになるほど恐かった。24階だから、地上より風が強くなるし。
昨日、またまた応募したプレゼントが当たり、同じものがふたつめ。3度目はないと思っていたので、さすがに大困惑! 弟にお裾分けすることにして送った。こんなに当たるとまずい。
仕事は新聞続き。書きにくいけれど、ボツボツやっている。

沼正三氏との思い出

45310583.jpg先月18日、常寂光寺の石段の脇の落葉。ここを見た観光客達は、この景色に歓声を上げる。
毎日、京都の紅葉を載せているものの、2週間経ってしまった。まだまだ続ける予定。
鎌倉は今が紅葉の盛りとテレビでやっていた。

昨日、ブログに沼正三(天野哲夫)氏の訃報を書いたときは、まだインターネットにも載っていなくて、やや信じ難い面もあったけれど、午後から載り始め、夕刊の死亡欄で名前を見つけたときは、本当なんだな……と、やっと実感した。
91年に知り合い、92年にはよく電話も掛かってきて、東郷健の演劇を見に行ったり、行きつけの店に連れて行ってもらうと、ホステスさんかママに誘われて踊り出したり。この踊りと言うのが「えらいやっちゃ、えらいやっちゃ、ヨイヨイヨイヨ……」の阿波踊り。私も誘われたけれど、恥ずかしくて遠慮した。
次の店「止まり木」では、沼さんは「月の浜辺」「建設の歌」「サーカスの歌」などを次々と歌い、ご機嫌だった。この流れでゴールデン街をふたりで呑み歩き、三島由紀夫の盾の会の会員だった今は亡き阿部勉氏も紹介された。「家畜人ヤプー」は三島由紀夫も絶賛だっただけに、その関係で阿部氏を知っていたのかどうか。単にゴールデン街でときどき顔を合わせるだけだったのだろうか。そんなことも訊かないまま。
ともかく、同じ店にじっとしていない人で、次々と店を移動する人だった。
まだ当時66歳。やけに元気だった。
いろいろ思い出すと、もう会えないというのが淋しい。
今は、ありがとうございました。お疲れさま、と言うだけ。

「家畜人ヤプー」の沼正三氏、逝去

93c8ce8e.jpg二尊院。下の写真を縦に撮ってみたもの。

奇書「家畜人ヤプー」の著者とも、いや、二代目だとも言われていた沼正三(天野哲夫)氏が11月30日に亡くなられたらしいというメールが入り、インターネットを調べているけれど出ていない。おそらく身内だけで葬儀は済ませ、それで終わりのような気がする。82歳だった。
28日の画家さん達の展示会の後でも、どうしてらっしゃるかと沼さんの名前が出たばかりだった。
17年前に知り合い、何度か会い、いっしょにお酒も呑み、時には沼さんのエッセイに私の名前も出てきた。
第三書館から天野哲夫で出している「三者関係(トリオリズム)の罠/ある異端者の随想録」の76には「藍川京の電話」というのがある。沼さんに頼まれ、神楽坂の現役芸者と名乗って、沼さんが知恵遅れを装って通っている西荻窪のバーに電話を掛けたときのことだ。
沼さんは遠縁に当たる芸者置屋の女将が後見人で、そこで芸者さん達に頼まれた雑用や、掃除、洗濯などをしながら面倒を見てもらっているという筋書きを作って、ケンサクという名前で通っていた。というわけで、寝泊まりしている置屋で、そのバーのライターが出てきたので、ちゃんと支払いはしているか、迷惑はかけていないかと電話で尋ね、時にはバシッと叩いて注意してくれみたいなことを言うためだった。
沼さんはバーのママに叱られ、叩かれるのが希望だったのに、電話の後で、信用のおける人物となってしまい、かえって大事にされるようになったようで、これは沼さんにとっても私にとっても予想外の展開だった。
その随想録に「文学少女なのに、純潔も猥褻もヘンタイもドンと来い、と、その肺活量の広さがある。私はそこを見込んで彼女に依頼したのであった」と、私のことを書いてくれている。
何が気に入ったのか、ときどき電話も戴いた。それがここのところなく、年賀状も2006年が最後で、去年は来なかったので、おかしいなとは思っていた。
その最後の年賀状に書かれていた最後の一行は「夕立が女の脚を白くする」。天野さんらしい。

二尊院の彩り

fdc0d7ce.jpg18日、嵐山の二尊院本堂より、庭の紅葉を。
紅だけというのもいいけれど、黄色や緑が混ざっている方が綺麗なときも。

次々当選

b151231b.jpg昨日の常寂光寺の多宝塔を、少しだけずれた位置から。
18日も友達と行ったけれど、これは雨上がりの16日のもの。
雨上がりで嵐山の地面はズブズブだったけれど、やはり、紅葉は雨上がりの方がきれい。

旅行後、ストレスになるようなこともあったけれど、先日、小包が届いて、誰からかわからないまま開くと(いい加減でアル)、フカヒレの姿煮、アワビやカニの缶詰、コシヒカリ2キロ……など、豪華なものばかりで、ええっ??? と思っていると、年賀状100枚につき1枚もらえる応募ハガキでプレゼントに当たったのがわかり、私がもらっていいのかしらと、嬉しいやら申し訳ないやら。
すると、今度はその2〜3日後には、カタログから選んでいいというプレゼンが届き、これまた年賀状のダブルチャンスとやらに当選とか。ひゃ〜。アイロン台を選んだ。
当たらないと思って出しているので、次々と当たると運を全部持っていかれるのではないかと慌ててしまう。また当たったら、そっくりそのまま他の人に送ってあげないと罰が当たりそう。3回目は当たらないだろうけれど……。
中学生のときも、購読していた雑誌のプレゼントに応募したら、ひとりかふたりにしか当たらない日本文学全集が当たり、どどどっと本が届いたときは飛び上がるほど嬉しかった。何十冊あっただろう。今も実家に置いてある。その次の月には同じ雑誌で財布が当たり、2カ月続けて当たるとはと驚いた。
次々と当たると、逆に恐くなる。

ゲラ2編が届いて、目を通し、送り返すのみ。「小説NON」のラストは、何とか形が整ってホッ。
新聞連載、またボチボチ。

東福寺 通天橋

0ae64836.jpg先月19日の東福寺。
臥雲橋の方から通天橋を写した。
絵はがき、パンフレットにあるのは、たいていこの位置からの、この紅葉。
友達が土曜に行ったら人ばかりだったとのこと。タクシーで往復したようで、それは無理だと言った。
京都駅からJRで5分か10分なので、混雑するときはバス、タクシーは使わないに限る。これが京都の旅では大事。バスやタクシーを使ったのでは、渋滞して動かない。タクシー代は上がるのみ。

やっと到着

faae149d.jpg16日、常寂光寺の多宝塔をバックに。
常寂光寺は変化があり、紅葉も2倍、3倍と楽しめる。
まずは山門からの石段。それは明日にでも。

最近、ちょっとしたトラブルが多くて参っているけれど、京都をいっしょに歩いた高校のクラスメートに送ったミニアルバム1冊分の写真が届いていないと連絡が来て、紛失かと、怒りと落胆だったけれど、何と10日もかかって、やっと届いたとの連絡。まずはホッとしたけれど、どうなっていたのやら。
これまでも届かないことがあったけれど、調査しましたがわかりませんでしたと、それだけで終わるのは何とも悔しい。けれと、ポストに火を投げ込まれて郵便物が一部燃えたときは、当時の郵政省が悪い訳ではないのに、記念切手を持ってこられたりして、かえって恐縮した。

今日は雨。新聞連載ボチボチ。

常磐山査子(トキワサンザシ)の実

75b5c4cf.jpg野仏庵の、昨日載せた写真の常磐山査(トキワサンザシ)のアップ。
みごとな実りという感じ。
ここは、紅葉も過ぎると淋しい風景になるけれど、これが赤々としていると、とても華やかになる。
数年前もここに来て、この実を写した。

師走に突入

7106100f.jpg先月19日の野仏庵の庭。
いかにも秋らしい。紅くたわわに実っているのはトキワサンザシでは。

今日から師走。時の過ぎるのが、また一段と速くなる。
雪を被った早朝の富士山が、とても綺麗に見えるようになった。

旅行から戻っていろいろストレスを溜めてしまったので、それが体調にも出てくるのではないかと思い、仕事に精出さなくてはと思った。
道徳観念のない人や、公私に渡ってのマナー知らずには辟易してしまう。
気を取り直して頑張ろう。

野仏庵

a99f9b0e.jpg11月19日の野仏庵の庭。
詩仙堂が人で一杯だったので、入口で引き返し、まずは目と鼻の先にある野仏庵でお抹茶でも戴いて待機することに。
抹茶つきで500円。
以前は無休だったのに、今は水曜と土曜か日曜だけの週に2日しか開いていない。
開いていてラッキー。
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