2005年08月
ひゃ〜、あっという間に今月も終わりそう。睦月影郎氏の筆力は驚異的で、彼のHPのカゲロー日記を読むと、いつも書きまくっているのがわかる。
それに比べ、私は書けたり進まなかったり。
体力の差もあるんでしょうけど、なぜか雑用が多いのです……。
ただいま10月刊の双葉文庫のアンソロジー80枚の執筆中。
早く終わりたいよ〜。
写真は28日の見川鯛山氏の葬儀の後、和食、洋食、デザートの果物、ケーキなどの並べられた精進落としの席のコーナーの一角に設けられていたもの。
テレビ出演のときの在りし日の写真や著書、往診で使っていた鞄、湯飲み、生原稿、万年筆、スキー靴、服、その他。
往診鞄に触りたかったけれど遠慮した……。
京都の東福寺本坊南庭の向かって右側のほう。海の波を表している砂の直線と円が何とも美しい。
先日ここに載せた市松模様の庭は、方丈を挟んで反対側になる。
昨日の見川鯛山氏の葬儀の余韻が冷めやらないでいる。
本当に偉大な人は葬儀のときにわかるものだと思った。
形式ではなく、心から見送りたいという人達が大勢集まってくる。
無医村だった那須湯本に、20代半ばで診療所を開いて60年以上医療に携わるかたわら、スキー、釣り、猟などの腕前もなかなかで、近所の人達とあたたかい交流を持ち続けた人だ。
ご子息、ご息女達も鯛山氏の血を受け継いでいるだけに、なかなか笑顔の素晴らしい人達だった。
鯛山氏の人柄があまりにも偉大で、鯛山氏のように魂が偉くなれたらなあとしみじみと思った。金や名声を求める人は絶対にあんなに偉くはなれないと断言できる。
鯛山氏の作品も素晴らしい。それなのに、今ではなかなか本が手に入らないのが惜しくてならない。多くの人に読んでもらいたいのに。今の時代には受けると思うけれど。
わずか13冊。絵本を入れても14冊。
どこかの出版社がポンと出してくれないかしら。
栃木県那須塩原市の八州会館での見川鯛山氏の葬儀は、みんなに愛されていた人だけに、1000人以の会葬者ではなかったかと思う。鯛山氏の病院を継いでいらっしゃる泰岳氏が喪主で、会葬者へのお礼の言葉がほのぼのとしていた。
次女のイラストレーター、米倉万美さんはなかなかの美人だった。
鯛山さんの小説に彼女が絵を描いている「山医者の毒にもクスリにもならない話」 (1800円)の絵本を知り合いにプレゼントしたいのに、クロネコヤマトのブックサービスでは取り扱い不能出版社になっていて、あれあれと思っていたが、これを出したドリーム舎の菊地さんが那須塩原駅まで送り迎えして下さっただけに、送りますよと言われ、ホッとした。
書店に頼むより直がいいのではとのこと。
〒321-0111 宇都宮市川田町1281−1
ドリーム舎
�筺�FAX 028−658−9720
また、<見川鯛山、これにて断筆「山医者のちょっとは薬になる話」「鯛山センセイの生き方」>も手に入れられずにがっかりしていたら、これを担当した編集者も来ていて、めでたくプレゼント用まで手に入りそう。2冊1セット(2667円)。
これも直に注文した方が手にいるようだ。
〒321-0925 宇都宮市東梁瀬1−13−2
(株)コンパス・ポイント
�筺。娃横検檻僑械供檻械牽械�
FAX 028−634−2487
肉体は疲れているけれど、素晴らしいエネルギーをいただいてきた気がする。
また明日から頑張ろう。
明日の見川鯛山氏の那須塩原での葬儀は遠慮しようと思うようになっていたけれど、鯛山氏の娘さん、イラストレーターの米倉万美さんと知り合いの菊地女史から電話があり、那須塩原駅まで迎えに参りますとのこと。急遽、足を運ぶことにした。
菊地女史は「山医者の毒にもクスリにもならない話」という絵本を出した発行者だ。
尊敬する鯛山先生に生前会えなかったことが残念でならない。
けれど、明日は息子さんや娘さんと話せるかもしれない。
鯛山氏は立派なお医者さんで立派な作家だったなあと思う。
診察してもらったことがなくても本を読めばわかる。
医は仁術を生涯に渡って通した人だ。
1冊読んで魅了され、次々と読んだのは20年も前。
惚けたユーモアと暖かさが忘れられない。
本当に残念でならない。
やっと明日、おそばに行けます。
凌霄花(のうぜんかずら)も大好きな花。初めて見たのは福岡で20歳のころ。
南国の花だろうと思って大感激。
でも、古くから観賞用に植えられていたと植物図鑑に。意外だった。
最近はあちこちで見られるようになった。
昨日の台風でいろいろな花も被害を受けただろう。
ベランダの椿やホトトギスをリビングに非難させた。でも、風が強かったかどうか、部屋にいるとぜんぜんわからなかった。
ここ数日、背中が痛くて胃がむかついたりしていたけれど、消えた胆石がまた発生かと思い、淡白な食事に心がけるようにした。
日曜はマザー牧場でハンバーグを食べたし、戻ってきたら焼き鳥も食べてしまった。元々、肉はあまり食べないし、和食がメインなので質素にいかなくては。
ストレス、暴飲暴食がいけないのもわかっている。ただし、規則正しい生活は無理。
痛みが消えたところで、今日はうんと頑張りたいなあ。
強い台風はこちらも直撃かな……。豪雨も強風も恐い。
ブリーチ君のもう一枚の、在りし日の写真。
実は、7月29日にここに載せた姉の家で飼われていた凄い猫は、その4日後の8月2日に野犬にやられてしまったとか。
今は火葬場に動物用も用意されているらしい。地方によってちがうのだろうけど、姉は火葬場に連れて行ったとか。
ペットに対する待遇は私が幼いころとは変わってしまった。
人間に限らず、動物でも植物でも大事にされることはいいことだ。
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10月刊行の双葉文庫アンソロジー80枚にかかることにしたものの、まだ書き出しに迷っているところ。何でもさっさと書いてしまいたいのに、だんだん頭が固くなるのか……。
スタートさえすれば後は楽々ということもあれば、書きだしたものの、なかなかラストが決まらずに迷いながらのことも。
写真は、秋の紅葉のころには何度も足を運ぶことがある東福寺の、方丈北庭。
苔と敷石で市松模様が作られ、「小田市松の庭」とも呼ばれている。
方丈の東西南の庭をこれと合わせて「八相の庭」と呼ぶ。
紅葉見物は渓谷をまたいでいる通天橋と呼ばれる洗玉澗からがいいけれど、それとは別に、私はこの小田市松の庭が好きで、ときどき足を運ぶ。
バックが紅葉のときは、また趣がちがう。
まだ団鬼六氏が世田谷にいらしたときにお宅を尋ねたときの写真。私は忘れる名人で、このときもベージュ色の日傘を忘れてしまい、後日、安紀子夫人が宅急便で送って下さった。
健忘症は今に始まったことではなく、遠い昔の20歳前から始まっていた……。
そろそろ夏バテの季節だけれど、今度の選挙は面白そう。
みなさんが1票のために、この炎天下の中を走り回っているのを考えると、家にいることの多い私がバテるわけにはいかないのだけれど。
9月1日で74歳になられる団氏だって、またまだ頑張っていらっしゃるのだから、私も、もう一踏ん張りしないとなあ。
しかし、書いても書いても締切がなくならないなあ……。
ひとつ書いても次があり、次を書いても、その次があり……。
右が在りし日の明智伝鬼氏。中央が丸茂ジュンさん、左が私。
刺青の彫師「彫よし」さんの出版記念パーティのときのものだ。
業界では有名だった緊縛師の明智伝鬼氏が7月17日に、わずか64歳で亡くなられて1カ月経った。残念でならない。
モノカキになってから、この世にプロの調教師や緊縛師がいるのを初めて知った。
担当の編集者のひとりは緊縛師の髭さんだったし、業界一ハードなプレイをすると言われている志摩紫光氏ともパーティで何度か顔を合わせたことがある。
有末剛師にはビデオの脚本を頼まれて二本書いた。驚くほど忠実に脚本にそったビデオをを作って下さった。
私はモノカキになってすぐに、SM界では有名な人達と会うことができた。
SMには蝋燭、鞭、医療プレイなどいろいろあるけれど、縛りは日本の美だと思うようになった。女体がより美しく装われる。けれど、このとき女の顔が笑っていては、せっかくの緊縛も台無しだけれど。
緊縛師達は普通は非常にやさしい目をしている。物腰や言葉が柔らかい。
やさしい人でなければ相手を自由にすることはできない。
いましめられる者が羞恥や苦痛に耐えられるのは、緊縛師の本当のやさしさを知っているからだ。愛なくしては緊縛師になれない。
巷でSMまがいの犯罪を犯すような人には人間の資格もない。
SMは相手を苦しめる行為ではなく、理解し合った者同士が深い悦びを得るための愛情表現だ。
知り合いが増えるだけ、彼岸に旅立つ人を送ることも多くなる。
生まれた以上、誰しも亡くなるとわかっていても、やはりしばらくは淋しい。
写真の花は愛らしいのに、その名は「ヘクソカズラ」。漢字では「屁糞葛」。可哀想に。
葉や茎の匂いがきついのでそんな名前になったようだが、「灸花(やいとばな)」「早乙女花(さおとめばな)」ともいう。
俳句では灸花を使うことが多いが、中には、
野の仏へくそかづらを着飾りて(石田あき子女史)
などというのもある。
このあたりでは今が盛りの花。蔓植物。
お盆の異常さな眠さも昨日から解消され、またせっせと原稿書き。
3日で50枚書く予定。
廣済堂の書き下ろしアンソジーで、全員が「診察室」にちなんで書くのだけれど、私は幻冬舎アウトロー文庫から、すでに「診察室」という本も出しているので紛らわしくなる。困るなあ。
20分前に大きな地震。
額が大きく左右に揺れ、足が震えるほどだったけれど、24階でも何も落ちずに済んだ。今のマンションは凄い!
書斎で仕事をしているときだった。
天井までの本箱もずいぷん揺れたけれど、地震対策をとっていたので大丈夫。
私は書斎を飛び出して寝室に行き、慌ててパジャマからスカートに着替えた。
パジャマのまま仕事をしていたのだ!
夜ならいいけれど、これじゃ、昼間は恥ずかしくて逃げられない。
震源地の被害は凄いだろうと心配している。
こちらは大丈夫。
額が大きく左右に揺れ、足が震えるほどだったけれど、24階でも何も落ちずに済んだ。今のマンションは凄い!
書斎で仕事をしているときだった。
天井までの本箱もずいぷん揺れたけれど、地震対策をとっていたので大丈夫。
私は書斎を飛び出して寝室に行き、慌ててパジャマからスカートに着替えた。
パジャマのまま仕事をしていたのだ!
夜ならいいけれど、これじゃ、昼間は恥ずかしくて逃げられない。
震源地の被害は凄いだろうと心配している。
こちらは大丈夫。
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