今回は浄明寺、報国寺、杉本寺、寶戒寺と金沢街道沿いを歩いてまわり、1〜2枚目の鶴岡八幡宮へ。太鼓橋の畔に満開の桜や、ほころび始めた桜が。先週の写真なので、今はもっと咲いているだろう。
そこから最後の大巧寺(だいぎょうじ)へ。咲いている椿の数が多くなってきたけれど、3〜4枚目の大好きな卜半(ボクハン)に出会えて、これだけで大満足。月光椿という言い方の方が好き。
5枚目、加茂本阿弥(カモノホンアミ)。6枚目、桃雀(モモスズメ)。
7枚目、銀閣時藪椿(ギンカクジヤブ)。8枚目、ロゼ・フローラ。
9枚目、ここにも蕗の薹(フキノトウ)が出ていた。10枚目、寒咲三寸菖蒲(カンザキサンズンアヤメ)。
11枚目、利休梅が咲き始めたばかり。これがやがて満開になると真っ白に。利休梅の根元で12枚目の黄梅(オウバイ)も咲いていた。











そこから最後の大巧寺(だいぎょうじ)へ。咲いている椿の数が多くなってきたけれど、3〜4枚目の大好きな卜半(ボクハン)に出会えて、これだけで大満足。月光椿という言い方の方が好き。
5枚目、加茂本阿弥(カモノホンアミ)。6枚目、桃雀(モモスズメ)。
7枚目、銀閣時藪椿(ギンカクジヤブ)。8枚目、ロゼ・フローラ。
9枚目、ここにも蕗の薹(フキノトウ)が出ていた。10枚目、寒咲三寸菖蒲(カンザキサンズンアヤメ)。
11枚目、利休梅が咲き始めたばかり。これがやがて満開になると真っ白に。利休梅の根元で12枚目の黄梅(オウバイ)も咲いていた。












報国寺は竹の寺と言った方がわかりやすいかもしれない。浄明寺のすぐ近く。
1枚目、山門。2枚目、山門をくぐると広がる庭。
3枚目、釈迦堂に続く石段。苔が美しい。4枚目、本堂。
5〜6枚目、鐘楼に続くなだらかな坂道。鎌倉幕府滅亡時に、北条高時に殉じた鎌倉将士の墓と伝えられる五輪塔が並んでいる。
7枚目、報国寺はさまざまな苔も美しい。受付を入ってすぐの風景。
9〜11枚目、本堂横の枯山水庭園。今は山茱萸(サンシユユ)の大木に咲いている花が美しい。10枚目に写っているのは釈迦堂。
12枚目、山林の方へ。前回までは自由に散策できたのに、今回は道順が決まっていて、いつもと逆に歩かなくてはならなくなっていて、ちょっと残念。どこも少しずつ変わっていく。
13枚目から、桜とやぐら。やぐらは横穴式の墳墓で、足利家時と足利持氏の嫡子義久の墓と伝わっている。















1枚目、山門。2枚目、山門をくぐると広がる庭。
3枚目、釈迦堂に続く石段。苔が美しい。4枚目、本堂。
5〜6枚目、鐘楼に続くなだらかな坂道。鎌倉幕府滅亡時に、北条高時に殉じた鎌倉将士の墓と伝えられる五輪塔が並んでいる。
7枚目、報国寺はさまざまな苔も美しい。受付を入ってすぐの風景。
9〜11枚目、本堂横の枯山水庭園。今は山茱萸(サンシユユ)の大木に咲いている花が美しい。10枚目に写っているのは釈迦堂。
12枚目、山林の方へ。前回までは自由に散策できたのに、今回は道順が決まっていて、いつもと逆に歩かなくてはならなくなっていて、ちょっと残念。どこも少しずつ変わっていく。
13枚目から、桜とやぐら。やぐらは横穴式の墳墓で、足利家時と足利持氏の嫡子義久の墓と伝わっている。
















浄明寺は鎌倉五山の五位の寺格を持つ寺。
1〜2枚目、山門。3〜4枚目、本堂。5枚目、本堂から山門を。
6〜8枚目、参道のピンクの梅や黄色い満開の山茱萸(サンシュユ)。
9枚目、馬酔木(アセビ)も一気に満開。
10〜12枚目、1500年代にあった喜泉庵を1991年に復興。庭園は枯山水。お抹茶をいただくことができる。
最後は今年初の節分草(セツブンソウ)。喜泉庵の入口近くに咲き、そろそろ咲いているかなと思って見てみたものの、葉っぱしか見当たらず、少し早かったかといったんがっかりしたけれど、何とか2〜3輪発見。きれいにひらいていないけれど、一応目にすることができて嬉しかった。この1ヶ所だけにたくさんの節分草が咲くけれど、見過ごされるような場所なので、気づかない人も多いのでは。












1〜2枚目、山門。3〜4枚目、本堂。5枚目、本堂から山門を。
6〜8枚目、参道のピンクの梅や黄色い満開の山茱萸(サンシュユ)。
9枚目、馬酔木(アセビ)も一気に満開。
10〜12枚目、1500年代にあった喜泉庵を1991年に復興。庭園は枯山水。お抹茶をいただくことができる。
最後は今年初の節分草(セツブンソウ)。喜泉庵の入口近くに咲き、そろそろ咲いているかなと思って見てみたものの、葉っぱしか見当たらず、少し早かったかといったんがっかりしたけれど、何とか2〜3輪発見。きれいにひらいていないけれど、一応目にすることができて嬉しかった。この1ヶ所だけにたくさんの節分草が咲くけれど、見過ごされるような場所なので、気づかない人も多いのでは。













杉本寺は鎌倉最古の寺。今回はそう人は多くなかったとはいえ、外人さんの割合が多くてびっくり。
石段を上ると、2枚目の山門には3〜4枚目の、運慶作の仁王尊。
5枚目、茅葺き屋根の山門を後ろから。
6枚目、山門から本堂に伸びる苔むした石段。今は通行禁止になっているし、石も摩耗しているので、今後も通行禁止だろう。いつから通行禁止になったのか忘れたけれど、40年前はこの石段を上って本殿に向かった。40年前かと自分でも驚いたけれど、いつまでこの石段が使えていたのかは記憶していない。ある日、通行止めになっていて、7枚目の脇道が左側にできていた。とても残念だった。この通行止めの石段を上ったことがあるのは、今になっては少々自慢できることかもしれない(笑)。
脇の石段を上ると、近くに8枚目の白椿。
9〜12目、茅葺きの本殿。中では運慶作の本尊の前立と観音三十三身も見られる。
13枚目、鐘楼と寒緋桜(カンヒザクラ)。その横には14枚目の絵馬。
15〜16枚目、本堂の横にある五輪塔群。斯波家永(しば いえなが)と家臣の供養塔。















石段を上ると、2枚目の山門には3〜4枚目の、運慶作の仁王尊。
5枚目、茅葺き屋根の山門を後ろから。
6枚目、山門から本堂に伸びる苔むした石段。今は通行禁止になっているし、石も摩耗しているので、今後も通行禁止だろう。いつから通行禁止になったのか忘れたけれど、40年前はこの石段を上って本殿に向かった。40年前かと自分でも驚いたけれど、いつまでこの石段が使えていたのかは記憶していない。ある日、通行止めになっていて、7枚目の脇道が左側にできていた。とても残念だった。この通行止めの石段を上ったことがあるのは、今になっては少々自慢できることかもしれない(笑)。
脇の石段を上ると、近くに8枚目の白椿。
9〜12目、茅葺きの本殿。中では運慶作の本尊の前立と観音三十三身も見られる。
13枚目、鐘楼と寒緋桜(カンヒザクラ)。その横には14枚目の絵馬。
15〜16枚目、本堂の横にある五輪塔群。斯波家永(しば いえなが)と家臣の供養塔。
















方丈を出て、1枚目、この向こうが石庭になる。菜種油を混ぜて練り合わせた土で作られている「油土塀」で、白砂からの照り返しや長い風雪に耐えられるような造りとか。2022年に葺き替えが終わったよう。
2枚目、勅使門。いつもは閉じられているけれど、1979年のエリザベス夫妻がいらしたときは、この門から入られたとか。
3〜4枚目、西側の北山杉の林。
5〜8枚目、鏡容池(きょうようち)に出ると、池の周囲には葉を落とした冬の木々。季節が変わると、真っ白い雪柳がきれいだったり、菖蒲が咲いたり、夏は睡蓮がきれいだし、いろんな季節に訪れたことを思い出す。
池から見える建物は龍安寺塔頭大珠院(だいしゅいん)。豊臣秀吉の家臣で犬山城主だった石川貞清が、関ヶ原の戦いで敗れて家康から所領を没収されたものの、出家し大珠院に身を寄せた。石川貞清の妻おかねは真田幸村の七女で、鏡容池の小さな島に幸村夫妻の供養塔を建てた。







2枚目、勅使門。いつもは閉じられているけれど、1979年のエリザベス夫妻がいらしたときは、この門から入られたとか。
3〜4枚目、西側の北山杉の林。
5〜8枚目、鏡容池(きょうようち)に出ると、池の周囲には葉を落とした冬の木々。季節が変わると、真っ白い雪柳がきれいだったり、菖蒲が咲いたり、夏は睡蓮がきれいだし、いろんな季節に訪れたことを思い出す。
池から見える建物は龍安寺塔頭大珠院(だいしゅいん)。豊臣秀吉の家臣で犬山城主だった石川貞清が、関ヶ原の戦いで敗れて家康から所領を没収されたものの、出家し大珠院に身を寄せた。石川貞清の妻おかねは真田幸村の七女で、鏡容池の小さな島に幸村夫妻の供養塔を建てた。








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